良いことだけで喜んではいけない
漫画の良くなさを懸命に説いた学者がいた。
また、他所では性描写の悪影響を説いた専門家もいた。
しかし、ものごとは単純では無い。
それらを解放したあとには結果が出るまでが時間がかかるだろうし、その観察などしている人間がいるか?
日本人は、その部分が楽観的というか放任的な部分を感じてしまう。
あるがままだ。
むかしは良かったというが、単に良い面にスポットライトを当てているだけである。
世界大戦の負の精査をしてきただろうか?
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ちなみに、私は悪影響雑誌は、それなりに効果があったように思う。
それらがなければ、パラレルな今があっただろう。
酷く個人的な印象を述べれば、物事や価値観の粉砕には役に立った感じは強くある。
しかし、それが個人の自由や自己実現に素直に行くか?といえば、そうは問屋が卸さない。
後に来たのは、新自由主義という代物で、力あるものやリソースがあるものが、舞台に立てるという世界だ。
いや、何も僻みではない。
事実、昨今の敗者復活戦は難しい。
また、悪影響雑誌を大人が読む分にはまだいい。
善悪の判断がつく。
書物というのは読んで内容を知ってからが、読んだ者の責任になる部分があり、学校より漫画で勉強や手本にしているなら、それなりの影響はある。
無論、悪影響などゼロにはできないだろう。
石原慎太郎に寄りかかるつもりはないが、読んでからの影響力というのに、余りにも楽観すぎていて、手放しでは困るのではないか?
この、因果関係や将来にどんな影響があるか?をやらずに進めるのかが、この国のクオリティらしい。
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