これからの事や身構え
今というのは過去があってから、今がある。
かといって、なかなか楽観的にならないのは、どうなるか分からないからだ。
不安があるのは当たり前であり、それは(必要だし)肯定するのだと、坂口さんはいう。
たぶん、いや本当に必要な感受性なのだろう。
昨今のわけのわからない事件や事象を見ると、未知数のものが姿かたちを変えて現れている。
光を避けながら黒い道を通る悪のようなものだ。
なにか、おかしいと思ったら、やらないことだし、立ち止まる勢いや、強さも要る。
NISAにしても、不動産投資にしても、やっていることがアレだし、将来保証は無い。
あたかも、株を買って勝ち組面(づら)しているのか、流行りの投資に手を出して余裕になっている者も時々みる。
本来の使われ方をされない物事というのも変なものだ。
自宅が商品(投機対象)になったり、儲かるからといい、医者の自由診療が大流行りな世の中を見ると、物事の目的や手段はコロコロかわるのだ、というのが分かる。
まあ、使う人間や物事を扱う人間が問題なんだけど、それを取り締まるというのが、いたちごっこのように、追い、追われを繰り返している。
医者の自由診療は、大病院に縛られることも医局とのやりとりもなく、フリーでれて、自分で自由に値段を振って儲けられるから、そうするのであり、資本主義や新自由主義の申し子のようなものにも見えてくる。