色んなことが起こりすぎてついていけない❷
話が飛んだ。
韓国では、加害した過去を履歴に残すというが、欧米では犯罪として厳罰しているのが、現状だという。
私の印象だが、学校に公安が入れば負け、と河合さんの言った時代は、終わっていると感じる。
それは、みなで非行少年のやることを判断したり、包括したり出来た時代だったからで、いまは大人は忙しいは、躾も作法も無くなれば、あとは無機質な民法だけが残っている。
更生も教育である、というのは、まだ余裕のある時代にしか出来ないことだったのかもしれない。
いまでは大人が自分の仕事や生活がぐらつく時代でもあるが、仕事じたいが委託や外注したりという、要領の世界になっている。
要は、効率がいい、コスパがいいとか、損しないというのが、会社だけでなく、学校、家にも時代を経ることに、知らず知らずの家に入り込み、無駄や余地を無くしている。
機械やAIから見れば無駄話や、不効率なことは、排除の対象でもある。
俯瞰的に見れば人間もやる事…判断して決めていくことも機械化している、ともいえる。
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よく話が飛んで良くない。
韓国のイジメ事情に対して、この国はどうか?といえば加害者の権利も、どうするか?という話に良くなる。
毎回、この手の話で嫌な予感しかしないのは、そのあとの対策なり、面倒を誰も見ないことである。
面倒を見ない…要はあるがままというか、自然になんとかなるだろう、みたいな放任がある。
最近、ペシミスティックな本しか読まない。
教育委員会や学校も昔ながらのムラ的な利権社会であるという。
旭川のイジメが、よく分からない専門家や弁護士が登場して、事態がなあなあになっていく様があった。
それに、人間が品なく亡くなっているのに、解決の遅さというか、あたかも風化にまかせるように、伸ばしに伸ばしているところが、本気度が見られない。
あれでは、残った子らが学ぶのは、やられた方は浮かばれることはないし、上手くやる方に回れば、どう事件を誤魔化せるか?を…強く学習したに違いない。
無論、加害者の親もそうである。
河合さんなどは、この国の物事をズルズルとよく分からないままにしておく、狡い点であるというが、ズルズルのなかにみな加害性を持っているのだから、ハッキリさせるのがタブーであり、事態を良くしようという方に持って行けるはずがない。
共犯意識のなかで罪穢れを薄めるようなものである。