不自由から始まる貧しさ(時代はかわら)
ネット世界がそうであるように、今まで出来たことが、できなくなる、制限されるというのが、最近みられる。
いちいち確認しないと先に進めない記事や、クリックタップを何度もしなければ見れない記事、広告を通さなければ本題に移れないなど、不自由を感じる。
キャリアを喰うためにそうしているのだろう、と妄想してしまうが、嫌がらせみたいに現れるトラップな切り替わり画面などは、進歩ではなく、いやらしい捕食生物を思わせる。
大手の記事にしても会員制だったり、有料記事だったりして、重要な部分は鍵付きだったりして、先が読めない。
いまでは「ただで手に入れようとするやつがいる」など、毒舌じみた正論を言うのが出てきたが、この部分でしっかり格差のようなものが表面化してきている。
Sさんなどは、有料記事や鍵付き記事は、廃れるだろうと予言していたが、実際にはそうでもなく、重要なポイントは課金しなければ見られないという壁は健在である。
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課金しなければ、手に入らないというのは、常識で正論に見えるが、実は金がなければ情報が手に入らなくなっている、の裏返しでもある。
すぐ正論をいったり、表面で物事を決めたりするのは、やはり良くなくて、そうなった分、何かが損なわれたり別の問題が隠されてはいないか?と、考えなければならない。
大事なものを見落とす。
当たり前に手に入るというのは、当たり前に手に入るという場所にいるからでもある。
そんな場所が無くなってきたり、タダで手に入れようとする不届き者が出るというのは、もう少し多角的に見なければならない。
豊かな情報に触れられないというのは、豊かではないし、豊かではなくなっていく前兆でもある。
今までスムーズだったものが、不自由になるというのも同じことで、全体的でかつ、複合的な歯車が不調になり、スムーズでなくなるというのはありえる。
しかし早い話が、わざと不自由させることによる儲けである。
自由を得たいなら、またはスムーズにしたいなら、課金しなければならない、というものが、ネット世界に乗っかって来たとも言える。
姑息といえば姑息だし、それ以外の儲け方がないというのは、実は貧しさでもある。
なら、より良くしようか?効率化しようか?としても、それが結果として芳しくないなら、しないのである。
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