アウトプットは仕事である
私もそうだがアウトプットができていない。
じゃあ、アウトプットは何かというと、仕事である。
労働の仕事でなく、生活一般の仕事だろう。
それをあたかも、個性的クリエイティブとか、大袈裟にいうからよくない。
業や糧として、考えてみれば、アウトプットも仕事として疲れるのが当たり前たり前に見えてくる。
もちろん、いま書いている文章もエネルギーを使うし、強制されない、ある種の労働だろう。
好きでやっているから良いとはいうが、それだって身体を動かし、エネルギーを使うのだから、疲れが生じないわけない。
要は、基礎体力(体調や身体)を温めておきなさい、なのだ。
アイドリングさせておき、仕事が終わればクールダウンと、メンテナンスすれば機械のように長持ちする。
この、個人のクリエイティブ…云々いうから、偉大な事をしようと身構えるが、実は大したことがなく、天才じゃなければ日々のルーチンワークを、他人でない自分が我流でやっているようなものだ。
何かをさせるというのが個人のアクが出るところがアウトプットなら、独裁制や支配的な環境がメンツを保つのに、マニュアルや、やり方に拘るのか分かってくるだろう。