できないものはできない
ギフテッドと言うのが前に国から発表されたが、いまはどうなっているのか知らない。
能力あるものに活路を見出すやり方は、大陸の真逆の戦略にも見える。
彼の地で、特化した進学を止めさせる、基礎教育の重視したシフトに素早く舵切りした。
歴史ある国はやることが違うのかもしれない。
あるいは、大事な部分が分かっていて、良くも悪くも込で引っ張っていけるのを底から分かっているのだろう。
発達障害に始まり、HSPやらHSC、境界知能など、援助に回すには大変な分野の広まりを見せる。
しかし、要は生活さえまともに近づけばいいのであて、○○だからといってチヤホヤせよという話では無いはずだ。
良いやつが悪くなるのか
悪いやつが悪いままなのか
平均水準が下がったのか
は知らない、知りようもないのだけど、ルフィみたいなものもいる。
欲のために引っ張られて、とんでもない所までいってしまうのもいる。
ベーシックインカムさえも没になるのは、悪人にさえ采配する矛盾が耐えられないのかもしれない。嫉妬を拗らすのかもしれない。
しかし、悪など個人の範疇であろうし、そこからはみ出た部分を裁けば良いだけだ。
それに、繁華街なんか歩けば昼間普通の人間が影ある店に入っていく。
ある人がキラキラした言説に振り回されるなと喝を入れる。
その通りだと思う。
そういうのはそういうのが性に合うのだろうし、それが出来ないからといって悪い訳でもないし、やや常識内の外れの方にいても問題は無い。
問題なのは新たな常識なりメジャーを作った際には必ず出来ないのが現れるのだ。
それを過去は寛容だったとか、(今)それができないのは受け入れないということは、既に一線を敷いて城壁を造ったことになる。
新たな常識なり、ルールなりの始まりである。
もちろん……
前からできなかったのか
落ちぶてできなくなったのか
色々あるかもしれない。
しかし、少し前から流行りだした非寛容さと格差というのに雰囲気が通じる感じもあり、結局はできる時盲目にもなれるし、残酷にもなれる。
逆に……逆境の時はできない時はできないし、できなくなった時の屈辱は酷いものだ。
どいうときが酷く、風当たりが強いかは知らないより知った方がいいが、先にできない時はできない、と時腹を括るのもいい。