本当に敵視するのは隣人ではない
SNSなどで、意見が合わず炎上とか、誰かを集中的に腐すのは、傍から見て見苦しい。
間違いではないのだが、そこまで徹底して叩くのは加減を知らず、上限がない。
大人だから、加減がわかるだろうと、観ていても意外と、年配の者がしつこく突っかかっているのだから、どうしようもない。
反知性主義ではないが、分かりやすく説明するのが専門家という、暗黙の了解が新たに加わったように感じた。
時間が無いから、動画で分かりやすいのを観るのは、間違いでは無いが、文章や文脈を読む習慣がなければ、捻った表現だったり、少し頭を働かせるというのを、忘れてしまう。
だいたい、(市民には不利な)法律や条例が分かりにくいし、分からないところで決まるという、というのは「難解な可能性を想像する」というのが必要だ。
だいたい、そんな法律は捻りに捻って書かれているし、分かりやすいわけがない。
あたかも、たらいの中で易しいことを解説されているのではなく、もっと生活の上流のことについて、分かりやすく、勝手がいいようにするのが、市民や政治の関わりではないか。
SNSや分かりやすい動画などに、囲まれているというのは、ある種の騙しがあるように思う。
インフラや政治に目を向けさせない工夫ではないか。