人間のやることは変わっていない
内田さんなどは、世の中の現状を大義名分をもって、何をしても良いという時代になったと説く。
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S医者などもまた、この国は冷淡だというが、結局は冷淡にならざるを得ないから、身内で固まって、よそに冷たくなるというのが、あるかもしれない(トラバリズム)。
身を…身内を守るのは身内である、という合理的な考えだ。
昨今の、公の場での破廉恥な所業が目立つが他所を「外」であるとする考えに近い。
外イコール野外…たとえば、むかしでいうなら貝塚のようなものだ。
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大義名分もそうだが、正しければ何をしても良いという言葉を、蹴飛ばしにくいのは、仕事や生産現場で当たり前な文句で、それをしない弊害が自分に跳ね返ったり、全体的に損を被るという、もっともらしい、正論が跋扈している、ともいえる。
これは、息苦しい。
少し前、子供の過干渉が問題になったが、なんのことは無い、大人世界でも似たようなことは、起きているのである。
河合隼雄が盛んに良い事、真面目、優等生は怖い、と言っていたが、良い例ではないか。
大義名分や綺麗なことば、響きの良いキャッチコピーの怖さは、真綿で首を絞めるような、気づいたら身動きさえできなくなっていた…というものだ。
まさに、天使の仮面を付けた悪魔であろう。
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内田さんは、大義名分もそうだが、誰しも悪や暴力はする可能性はあるのだ、と説いた。
その通りだと思う。
盛んにPTSDやトラウマ、心のケアなどが叫ばれるが、実はそれを盾にして何をしても良いというのさえある。
また、疾病利得により動き回っているのもいるかもしれない。
しかし、現実を見る限り、それ以外の生き方がない時点で病的でもある。
健全で建設的な場合ならよいが、逆をやらざるを得ない生き方でなければ、自分が損をするのだから、事実は小説よりも奇なりである。