書くこと手段、表現方法
まともなものの、ひとつやふたつは書いてみたいものだ。
いつも、クセがあったり、世の中とずれていたりするものを書くと、どうも芳しくない。
じゃあ、そのズレてないのは、何なのか?というと、共有できたり、経験則が生かせる話題なのだ。
これが、個人的…超個人的だから、何だそれ?になる。
これでは、独り善がりのままだ。
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だけど、弁解めいていうと、表現しないよりした方がいい。
そうしないと、まず自分が自分をわかっていないことになる。
下手でも、不器用でも、偏屈でも、何かしら言葉にしたり、作品…文章にしなければ、後で見て自分がどんな考えをしていたか?の確認すらできない。
非常に捻れたコケシを掘っても分かる。
捻れるような、捻れなければねらない、やり方(生活など)をしていたのだと、あとで分かる。
別に、コケシじゃなくてもいい。
ただ、むかし吉本隆明が言っていた物を書く者はどこか、歪んでいるという考え…あれが分かる時がある。
自分から歪んでいったのか?生物的に歪まざるを得なかったのか?知らない。
だけど、自己慰安のための文章表現は、ありだと吉本はいっていた。
傷を治すのか?歪みを治すのか?
どちらだろうか。