何も残さない
子どもに過剰な期待をするのは、ともかく何か残したいとか、もう少しやってやれたら、と思うのがある。
これは、己のエゴなんだろう。
でも、そんなにモノを与えて、子供が全て喰えるだろうか?と…そのときは中々、思えないのだ。
何か残すと言っても、それを子に託すというのでも無いし、あたかも自分のコピーにしたい、というのでもない。
コピーはとんでもない。
何か自分の面影がある…くらいで、丁度いいのかもしれないが、それでもアレヤコレヤと付け足してしまうのは、自分の不安か?己の形見として、この世にこの子を置いて去る、みたいな。
~~~~~~~~~~~~~~
S医師などは、親が子に託す負担は時に暴力性を帯びると言った。
これは、どこかで禁欲しないといけない、と。
たぶん、ときどき思い出したように反省しないといけない事柄のようで、自分の生きた時代とは別の生き方が生まれ、それを子どもに任すくらいじゃないと、ダメなんだろう。
過去の荷物が…考え方だったり、習慣が、次の時代に重くなるなら、まずは、沈没する船から荷を投げるように、生き延びることを優先しなくてはならない。
時代のアンテナについては、若い子には敵わない。
年寄りにできることは、習慣の深い部分で変わらない部分から、ボソッと呟くくらいしか出来ない。
よしもとさんなどは、若い頃の決別について、新しい物事に取り組んだり、愉しむ若い子を見て、ああ…これからの若い子のやり方なんだ、と実感されたそうだ。
次の時代にバトンを譲るというか、自分から引くという、目安なのだろう。
道を譲る。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?