戦争や責任、克服、その他
ガザパレスチの問題やウ露の問題など、世界は混乱している。
それに、爆発テロもあった。
少し前から坂口さんなどは、世界の…この国も、微小な戦争状態である、と言っていた。
何というか、インフラの食いつくしみたいな、新自由主義な根性が、アチコチに染み渡った感じがある。
公共や共存は口先なのが、以下に多いか。
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ユダヤの方で戦争を仕掛けるとか、ドイツにとっては、寝耳に水な事だったのではないか。
いや、戦争研究者でさえ、日独の戦後処理の仕方を散々述べ、良さや悪さの違いを言ってきた。
しかし、少し前からネオナチズムや、ヒトラーも良いところはあった…拡大解釈して、ヒトラーは善玉な意見が、この国のみでなく、ドイツにもあると言われ、彼の地の戦争博物などは、反省や克服の礎(いしずえ)でなく、単なる重石だったのか?と…私は感じた。
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しかし、(この国で言えば)太平洋戦争にせよ、戦後責任なども、それを亡霊にして喰ってきたのではないか。
克服というのは、次の世界に向かうためのものだ。
確かに、戦争の学問や言い伝えなどは、影響を持つだろう。
しかし、若い子が、体験者を「死に損ない」と叫び、原爆ドームの折り鶴を燃やすのは、すでに克服のための時間制限は過ぎているのである。
そんな問題に付き合ってられるか!と。
ゆえに、時々まとまりのない、戦争体験を若い子に聞かせても、効果が無い、とも言える。
要は、戦争や戦争談が現在進行形で、活かされなかったのである。
戦争回帰の、あの方ではないが、克服せずに、そのフォームを生かさず殺さずで、上手い具合に保って来たからこそ、奇妙な捻れが、いまも続いているとも言える。