知能と仕事


甥っ子が教授から、知能と社会的地位の肯定…云々を当たり前に話していた、と前に語ったことがある。

中流という価値観が生きていた頃は、どこか知能や能力の高低を、肯定するのは、タブーなところがあった。

いまでも、教育や科目については説くが、能力や知能について語らないのは、その面もある。

1番は、教師の給料だろう。

目の前の生徒のうしろには、保護者というのがいるし、知能が良くないなど言えば、世の中も黙っちゃいない。

~~~~~~~~~~~~

若手の精神科医などは、容易に知能を肯定することがある。

連想して、知能がないから精神疾患になるのだ、という説明がなされる。

この原因と結果については、分からないし、複雑だが、考え方としては時代は世界標準になったのだろう。

しかし、何歩も譲って、精神疾患がある、生きにくくなった、生きる場所がない、さぁ…どうする?の段階まで、考えられないのが、好ましくない。

これでは、レッテルを貼り放り出しているようなものだ。

もちろん、精神疾患の部分にいえば、若手でなくても、それ以上をノータッチとして、触れたがらないのが、少なくない。

また、医者の目線(能力や地位、余裕など)から、患者を考えるのはよくない。

医者と患者は違うし、内容も違うところから見ないと、薬だけ与えて、それ意外をやりたがらないものと、何ら変わらない。

それに、世の中もせこくなった。

医者が薬だけ与えといて何が悪い?と言う声も聞く。

病院の外について知る余裕が無くなったのか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?