知能と仕事
甥っ子が教授から、知能と社会的地位の肯定…云々を当たり前に話していた、と前に語ったことがある。
中流という価値観が生きていた頃は、どこか知能や能力の高低を、肯定するのは、タブーなところがあった。
いまでも、教育や科目については説くが、能力や知能について語らないのは、その面もある。
1番は、教師の給料だろう。
目の前の生徒のうしろには、保護者というのがいるし、知能が良くないなど言えば、世の中も黙っちゃいない。
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若手の精神科医などは、容易に知能を肯定することがある。
連想して、知能がないから精神疾患になるのだ、という説明がなされる。
この原因と結果については、分からないし、複雑だが、考え方としては時代は世界標準になったのだろう。
しかし、何歩も譲って、精神疾患がある、生きにくくなった、生きる場所がない、さぁ…どうする?の段階まで、考えられないのが、好ましくない。
これでは、レッテルを貼り放り出しているようなものだ。
もちろん、精神疾患の部分にいえば、若手でなくても、それ以上をノータッチとして、触れたがらないのが、少なくない。
また、医者の目線(能力や地位、余裕など)から、患者を考えるのはよくない。
医者と患者は違うし、内容も違うところから見ないと、薬だけ与えて、それ意外をやりたがらないものと、何ら変わらない。
それに、世の中もせこくなった。
医者が薬だけ与えといて何が悪い?と言う声も聞く。
病院の外について知る余裕が無くなったのか。
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