勘違いしながら生きる
ネットの混乱化というか混沌化は、手に負えないようにも見える。
ネガティブなことがあれば、それに何とかしようとせず、叩くだけや、一般常識を言って蓋をする。
確かに疑問や不満など、言い出したらキリがないが、放っておいてもいいか否かは、二者択一でなく、保留にして待つという、態度は必要である。
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実はものを創る、整理するより、壊したり、泥を塗ったりする方が、早いし、楽しいという意見がある。
建てる、治す、修復する、などよりも、自分は関わらず、使う、消耗する、選ぶという側だ。
たぶん、ネットだけの世界ではあるまい。
パブリックな世界もそのけはある。
残念ながら、不都合というのは消しようにもできないことがある。
なら、無いことに逃げておくのではなく、最小限や限りなくゼロに持っていく、知恵や手段は必要だ。
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少し前に、共感過剰の害悪が言われた。
ものごとは、良い面もあれば悪い面もある。
共感とは、他者との壁を薄くする。
ときに、他者と一体になったと勘違いする。
過剰な共感が、繋がりばかりで、束縛となり、創造性を失わせるのは、そのためだ。
共感は、分かって欲しいと言うのもあるが、他に誰かや世界を動かしたい、と言うのもある。
最近、専門家が挫折を知らないエリートたち、を話すが、昔は世界はままならないから、どうしていこう、と言うのがあった。
生まれてから、ずっと、怖いもの無しの王子のようなものだ。
もちろん、王子以外なら挫折の世界の多さに立ち往生しながら、生きてしまうかもしれないが。