再び勘違いしながら生きる❷
だけど、酷いのは発達障害に対して、生きる道をまともに示さず、よく分からない授産施設に預けるしか、現実にはないことである。
会社は生産をあげるためにある、は正論中の正論である。
しかし、官がダメなら民へとなって、民もダメと分かったのだから、制度なり体制をサッサと変えればいいのを、なかなかやらない。
生産を上げるのは会社の強さだけしかなく、生活基盤やインフラにはタッチしないのだから、全体的な仕組みに問題があるのだ。
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さて、世の中から在野、身近な部分に目をやると、やはり不器用なのは存在するし、彼らが活き活きしているか?といえば、疑問である。
たとえば、厚労省は不登校や閉じこもりを、再び何らかの精神疾患があると、言い出したが、包容力に力尽きた感じがしないでもない。
精神科医のなかには、病気でないとか、彼らは創造的だというが、それに対して世の中は分厚い。
変わりようもない仕組みがあるのだし、ある程度の生命力が求められるのが世の中である。
要は、世の中はフォームを求める。
いつの時代も、世の中に合わせることが求められてくる。
そのなかで強さや疲れ知らずとか、器用がないと、自分でアレンジしたり、工夫したりというのができない。