ネガティブを(自虐)ネタにする風潮

ヴァービーが映画になり問題になっている。

オッペンハイマーやキノコ雲などが、ネタとして取り入れられ、ジョークにしようとするものだ。

世代が代われば、事情を知るものは少なくなるのかもしれない。

それに、当時の事情を良く知らないなら、遠い国の出来事のように…無関係のようになってゆくのかもしれない。

これは人類的スティグマの浄化が働いているのだろうか?

個人ではなく、世界で起きたショッキングな出来事は、当時を生きる者にとって遠いが深い傷になる。

あるいは、それが無関係…または対岸の火事であっても、どことなく語るのが禁忌に感じる場合もある。

要は触れてはいけないタブーみたいなものになるのだ。

でも、各国で戦災なり被災なりで当地独自の傷はある。

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しかし、1番は視野が狭くなる事ではないか?

粗雑に言うなら、身内は大事にしながら知らないものはぞんざいに扱うみたいな。

SNSは視野が広そうで狭い。

今しかないからだ。
あるいは、いまと少し先に起きえそうな将来がオマケのように付いていて、時間に過去がない。

過去を知らなければ、他所の事情など分かりようがないし、歴史…そうでなくても、振り返りというものがなければ、自他ともに由来が分からなくなる。

自分も他所も「今」を生きているのだ、という楽観的な視点になる。

少しまえに、ある方面の著名人や専門家が、これからは今という瞬間を大事にするものだ…云々、と述べていたことがある。

この功罪は物事の来歴や過去を見なくするという効果があったらしい。

その言葉で世の中の全てが回るわけは無いのだが、結果として薄っぺらく、今を今を、と追い続けている、状況が広がった感じがする。

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他国の戦争意識は正直分からない。

ウ露の戦争が目に見えてわかる戦争の存在は、ネオナチズムや極右の派手行為は1歩引いたような感じはある。

しかし、国民教育としての反省意識は、ドイツなど見ればいまだにゲシュタポやガス室など、教育に取り組んでいるとは聞く。

一方では、暗部でネオナチが発生してしまうのもある。

だが、世代交代による効果は大きいと思う。

これはこの国に限らず、これからを生きる者にとって、これからの方が大事であるが、歴史…負の遺産などは、当事者や当時に近い時代を生きたものが少なくなれば、活かせる教訓としては薄れる可能性がある。

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「自虐ネタ」というものの延長なのか、自殺をパロディにして面白がる風潮があるようだ。

自殺までいかなくても、リスカによる血液ドリンクを北海道かどこかでやって、問題になったことがある。

直近の例でいえば、中指を立ててパロディにしてしまうというのがある。
ネガティブな例なら似たようなものだ。

これを果たして(人類的な)浄化行為や、すり替えとしてみていいのだろうか?

これほでまで、変化が早く、ネット…フェイク含め、大量の情報が入り判断しなくてはならない時代になった。

過去の一点に拘っている暇は無いくらいの勢いで、ネガティブなことがパロディ化され(人類的に)始末されている気がする。

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