ツイッタもいいが自分の声を練る事
身近な人が笑いながら、これから悪くなるよ、と話したが、それだけで先が重く感じる。
いや、変な気を利かせながら、確実に来る未来へ「ドンマイ」という掛け声なのかもされないが、現代も不気味にしてしまう。
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どこまで、専門家や知識人らの読んだデータの解説を信用していいか?分からなくなってきた。
犯罪は減っているとか、格差と同時に求人率が上がったとか、それだって内容を見ずにデータから読み、世の中を俯瞰したに過ぎない。
あなたの不安は、体感不安だ、なと言われても果たして納得いくだろうか?と、思うことがある。
データですら、移りゆく現代の速さからしれば、過去しか見ていないし、ときに解析した情報も使えなかったりする。
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たぶん、捻った表現が余計なことをしている、可能性はある。
もし、即断して○○だから、ソッチから見るようにと、言われても体感したことが、どれだけ重要か?あるいはそれを分析したりして、是非をとう必要もある。
勘はアナログで、勘違いである、というのは、どうもいけ好かない。
とりあえず、不安に巻き込まれた体感というのは、無視できないものだ。
というか、影響力のあるSNSが先で、実世界が後から影響されるというのもある。
いや、私はSNSが妄想を作るのではなく、SNSからタブーが広まったり、強者や弱者というのが、決まることもある、と言いたいのだ。
ここで書いているのは、とりあえず言葉を練るためだ。