平和をいいことに
最近、妙な事件に綾がかかっていると感じる。
むかし、平和ボケ…云々言われたが、加害性や戦争、暴力とか、それらもそうだが、それらは何処から来るのか?を見失った感じがある。
先に、言葉にするのが躊躇われることについて書いた。
特に、弱者に関わることにメスを入れるのは、タブーなところがある。
ハト派はともかく、その道の人間やそれに近い人間、弱者は善玉とラベリングするのか?ゆえに、隙が生じているように見える。
いや、隙は世の中に広がっている。
「隙」という言い方もおかしいが、目に見える脅威や暴力というのは、分かりやすいが、水が染みていく暴力や脅威、搾取は、分かりにくい。
冷笑系は荒れること自体を、せせら笑う態度だ。
そんなのは頭が悪い、と。
しかし、流れからしたら、次来たのはエンタメ系ではないか。
マックの怒声店員があったように、事件やトラブルがあっても、無関心な態度、または傍観者を通り越し、ハプニングを楽しみにしてしまうよいなものだ。
難しいし、あまりよくないが、事実や流れから言うより印象になるが、目の前の世界を込みにしないで、居られる状態とでもいうか。
デタッチメントのようでありながら、鳥が天敵なければ、エサを突くようなものであり、かなり野生が入っている。