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ラン&ついでの自由学習-世田谷区の駒繋神社篇-
走った日 2月5日
走った距離 29キロ
緑道。
世田谷区には、暗渠化された中小河川の上の部分(つまり、閉じられた上)が、それはそれは心地よい緑道になっていてお散歩やジョギングを楽しめるところがあります。 そして、それがうまーくつながっていたりします。
ということで、この日は、世田谷区に住むラン友達のプロデュースで、世田谷区緑道繋ぎランを楽しんできました。 走って繋いだのは、蛇崩川緑道、目黒川緑道、烏山川緑道と北沢緑道。
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こうゆうランって、ふらっと走って、なんか寄ってみたいところがあればすんなり寄り道、っていうゆるさが好きです。
蛇崩川緑道のわきにある神社、駒繋神社っていうのが、なんか素敵だったので寄ってみたことが、今回の『ついでのお勉強』の引き金になりました。
このへん、駒繋とか駒留とか、もちろん、駒沢とか、駒がつく地名が多い。 そして、この駒繋神社のある場所、下馬です。 馬由来がいっぱい。
調べてみました。
このあたりは、もともと『馬引沢』という地名で、それが上馬引沢、下馬引沢、などと分かれ、現在の、『上馬』『下馬』はその名残だそうな。 で、『馬引沢』ですが、文字通り、『馬を引く沢』、つまり、『この沢(湿地)では、馬を降りて、引いて歩くべし』ということ。
源頼朝が奥州征伐に向かう道すがら、この蛇崩の激しい筋で馬が暴れて沢に嵌ってしまって、命を落とした・・・・(あ、命を落としたのは頼朝ではなくて馬)ので、頼朝が、ここからは馬を引いていけ、と命じたらしい。
そこまでは『馬引沢』の話。 さて、『駒繋』の謂れ。
馬が死んでしまった場所のそばに神社があった。 『子(ねずみ)の神』でオオクニヌシノカミが祭られている神社。 で、頼朝が馬を死なせてしまったことから、なんか、そこいらに住むお年を召した女性が、『不吉なことがあったのだから、そこでお祓いをしたらどう❓』と勧め、頼朝はその勧めに従ってそこで祈願、そしたら奥州での戦で勝った。 勝てた頼朝は再度ここを訪れて、感謝のお参り。 その時に、馬(駒)を繋いでおいた松があって(今はないらしい)、それが駒繋ぎの松と言われ・・・・それが今の神社の名前の謂れ。 この神社が駒繋神社と後の世に呼ばれるようになった、ということでした。
本来はオオクニヌシノカミが祀られている神社だから・・・と考えると、このような立て札もとってもしっくりくるのでした。
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