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幸せな下関海響マラソン記

下関海響マラソンに出たい

下関海響マラソン。
いつか出たいと思っていました。
コースとか難易度とかそういうのなんも考えずに。
息子がそこで生活を始めていた地だからです。
下関は遠い。
息子が暮らす、自身は行ったことがない土地でフルマラソンがある。

そりゃ、行きたいっしょ(笑) 

仲間と一緒にエントリーしました。

「今度、下関行くよ。 マラソンに出る。」

「え? あれ? あれに出るの? で、いつだっけ?」

「11月」

「あ、俺、その頃もう下関に居ないわ。 まだ言ってなかったけど、10月いっぱいで福岡に引っ越す。 転職すんの。」

え? え? え? えーーーっ?💦

こんな会話はエントリー直後、5月のことでした。

その時に息子が描いていた環境の変化は、転職と引っ越しだけではなかったことを当時の私は知りませんでした(笑)。
その後、夏に突然

「お盆休みにそっちに行くから彼女と会って」
というLINEが来て、都内で初めてのご対面。

そして先月、福岡への引っ越しとともに、2人で新しい生活をスタートさせたところでした。

「で、ところで、下関のマラソンほんとに出るの?」
「出るよ」
「そ。 じゃ、応援行こうかな。 二人で。」
てなわけで、嘘かほんとか、福岡から応援に来ると言ってくれた息子。
そうはいっても、引っ越ししたばかり、2人の生活を始めたばかりの三連休、いろいろと大変だろーし。
1回だけしか会ってない、変なおかーさんのマラソンの応援につきあわされるのは、彼女もちょっと複雑かもしれないなどと思い、
「無理しないでいいよ。」
などと言ってはみたものの、ひそかに、
「ほんとに来てくれたらうれしーなー。」
などと思う母。うちあげのお店もちゃっかり5人分(出走する私たち3人と息子たち2人で5人分)で予約してしまう。

(ま、来ないならあとから断ればいっかー)

旅支度からレース前夜


さて。

私は私で、5月末の肋骨骨折、8月の手首骨折などを経て、練習量ふがいないまま大会に向けた旅立ち直前。
ペースプランをたてようと、まじまじと、コース情報をみた。
関門が11か所!
で、第1関門が3.3キロのところでスタートから36分後。

う・・・・・

号砲から36分で3.3キロ。

ブロックの後ろの方に並ばないといけない私がスタートできるのは何分後なんだろう?
埼玉マラソンでは30分待ちだったから・・・その半分の15分後だとすると・・・・時間が足りない。
キロ7分では間に合わない。
私のふだんのレースペースでは、第1関門が、あ、ぶ、な、い💦

大会事務局に電話をしてみた。 
「最後尾ブロックがスタートできるのは号砲から何分後くらいとみたらよいでしょうか???」(私)
「そうですねえ。毎年やってみないとわからないんですが・・・・そうですねぇ。」(事務局)
「じゅうごふんとか?」(私)
「いえ?そんなにかからないと思いますね。」(事務局)
(お、いいじゃん、いいじゃん、と私。)
「じゅうさんぷんくらいじゃないかなっと、それかもう少し後か、ですねーーー。」(事務局)

かわらないじゃん!!

やっぱりこれはスタートから飛ばしてかないと。

でもこのコース、後半20キロは上りと下りの繰り返し。
前半飛ばし過ぎたら持たない。
走れるか? 
飛行機と特急と在来線乗り継いでここまできて、3.3キロで捕獲されたらあまりに勿体ない。

コースはまず瀬戸内海側を行き、戻って響灘〔日本海〕側を行く
3.3キロのところに最初の関門。ひっかかったらは関門橋も仰げずにに捕獲だ。
19キロ以降、この日本海側がアップダウンの繰り返し💦

もしも福岡から息子たちが来てくれるとして・・・着いた頃にはもう捕獲されてる?って、これはまたちょっと、申し訳ないというか、面目なさすぎるというか・・・・

そんなこんなの気持をかかえて下関入り。

状況と不安を白状しながらも、応援ナビアプリの使い方と服装を知らせてみる。
「こんなアフロのウィッグかぶって、ミントグリーンのTシャツ。 このナビで私がどこにいるかを目安にしてね。」 

すぐさま戻ってきたのは、オッケースタンプ。

前日夜、もういちどペース表をにらみ、11個の関門の閉鎖時刻を油性マーカーで紙に書いて、Tシャツの裾に安全ピンでさかさまにくくりつけた。こうすれば、確かめたい時にペロっと裾を持ち上げれば良い。 

とにもかくにも第1関門を超えること。

前日に確認したセット
油性マーカーで大きく書いた関門閉鎖時刻はすごい横長(笑)

何度も修正をいれたペース表はジップロックに入れてポケットに。前半は関門通過は閉鎖3分前くらいの計算だ。
もっと余裕を持たせたいところだけど、本当にこれでカスカスなのだ。

出走


スタート!
駅近の海峡メッセ下関から、流れにのって走る走る。
何も考えず、とにかく足を動かす。

第1関門間に合った!

スタートがスムーズだったことにだいぶん助けられた。
そこからはもう、毎回目標を次の関門において走る。
完走とか、そんなのはまだ考えない。

コースはまず、瀬戸内海沿岸を走る。壇ノ浦合戦場跡。安徳天皇を祀った美しい赤間神宮。関門橋。見どころ一杯。写真とりたい。けど撮ってる場合じゃない。
道は平たん。
海沿いの道を7.7キロいって、来た道を戻る。
駅周辺は応援の人が特にいっぱい。歩道橋から見下ろしているひともいる。

来てくれてるとしたらこの辺だろうな。

捜しながら走る。見つからない。

来てないかもな?ま、いいや。とにかく行こう。

下関駅を通り抜け、ぐるっと回って日本海側に向かう。関彦橋を上り、下り、ながーいトンネルを超えて、今度は彦島大橋を超える。。
左眼下に広がる日本海。青い海と白い船。景色最高。

だが上りがきつく、そして、長い。 
長い上りは、延々と続くランナーの列がはるか向こうまで見渡せる。

あーーーあそこまで登るんかー。
それにしても、海と坂道しかない。福岡から来てくれるんなら、クルマでもない限り、ここまでの足はないよな。町まで戻れたらもいちど捜そう。その時にまだ捕獲されていないことを願う。 でもさ、関門を通過してこちら側まで来れたこと自体有難い・・・
それにしてもこの坂長い・・・などと思いながら、25Kくらいのところ、突然左真横から声。

「がんばれがんばれーー。ともこさん、がんばれー。」

ぴょんぴょん飛び跳ねて応援している彼女の隣で息子はスマホを構えてた。

え?まじ? こんなところに?

なんだか俄然元気が出てきた。25キロ過ぎたあたりの長い上り。疲れ処に突然現れるなんて、なんと絶妙な!

出来過ぎだ。

しかもこの二人、なんだか楽しそう。

その後、29キロくらいのところにまたいた。 
え?いつの間にここに?こっちは走ってるのに?

レンタカーでここまで来て、応援ナビみながら、車を止められそうなところなどを押さえながら来てくれていたわけね。
そこはまあ、土地勘があるから。
その土地で営業で車運転しまくってたから。

日本海側の折り返しは第8関門にもなっている、28.7K。
あとは来た道をそのまま、もういちどアップダウンを繰り返す。 
ここまで来たら、さすがに完走したい。
関門閉鎖時間を書いてシャツにはりつけたメモはとっくに汗でビリビリになって跡形もない。
ジップロックに入ったペース表を握りしめてちらちら見ながら行く。
2キロごと予定時刻を書いたメモ、自分は今、本当にそれ通りに進んでいる。 

気は抜けないけど大丈夫なハズだ。

今回のレース、ここまで、後半の上りでは積極的に歩いた。
走り切れなくなって歩くんじゃなくて、その前に歩いた。
で、下りは飛ばし過ぎずに落ち着いて。足を前にやらなくても、今ある体の下に着地すればよい。下りはそれでも速度はそれなりに出る。

不思議だ。

32キロ過ぎても足は大丈夫だし、心も折れていない。

というか、むしろ、楽しい。
足の攣りも来てない。

給水は毎回しっかり飲んでいる。給食もしっかりいただいている。
ジェルも攣り対策パウダーも早め早めに計画通りに注入。

残る距離が7キロくらいになったところでスタッフの声。
「すこーし、いそごう。あと一時間、間に合わなくなるよーーー」 
その声も焦らずにやりすごせた。
あと1時間、大丈夫、間に合う!

大きな橋と長いトンネルを抜けて街にもどってきた40キロ地点。最後の関門超えたら、ちょっとモチベーションが下がって来た。
道が狭いし、まわりはみーんな歩いてる。
その時聞こえてきた(ような気がした)のは、この3月、佐倉マラソンで応援に来てくれた仲間の声。ちょうど残り3キロくらいのところだった。

「ともちゃーん、辛いのはわかるけどここで歩いちゃだめだー。」

そうだった。ここで歩いたらもったいない。

フィニッシュできた。ペース予定表ではフィニッシュが14時25分(5時間55分)。ランナーズアップデートのフィニッシュタイムは14:22:37。(グロスで5時間52分36秒)

貰えて良かった。フィニッシャータオルとメダル。どちらもモチーフは関門橋。

レース後


結局息子たちは、打ち上げも参加。もともと彼に教えてもらった店で、やはり彼お勧めの「とんちゃん鍋」っていう郷土料理らしきものを中心に、良く食べ、よく飲み、良く笑った。

彼氏(まだ、夫という感じじゃなさそうw)の母親を含めたおばちゃん3人の打ち上げに、うれしそうに楽しそうに参加してくれたオヨメちゃんにありがとう。

こんなやさしくてかわいい子が息子のパートナーになってくれて、うれしくて、で、2人が楽しそうでしあわせそうだったのも嬉しくて、で、もちろん完走できたことも嬉しくて。

次の日は走った3人で、巌流島とか門司港とか、船で海をわたったり、関門トンネルを歩いて渡ったり、本州と北九州を行きつ戻りつ満喫してもちろんこれも最高に楽しく!

まとめ

てなわけで、旅ランはただでさえ最高なのだけれど、ランナーとしてだけでなく、母としても最高の3日間だったのです。

こんな気持ちを文字に落としておきたくって、だらだら長いテキストになってしまいました。
読んでくださった方、ありがとう。
応援したり励ましたりしてくれたみなさんありがとう。
一緒に走ってくれたラン友お二人にありがとう。
走れることにありがとう。




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