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9/21 『天冥の標 Ⅱ 救世群』を読んだ

第一巻を読んで、散りばめられた謎と果てしない奥ゆきを感じさせる伏線にこれからどんな壮大なスペクタクルが待っているのだろうと胸をときめかせてから――なんと3年が経過していた。一体何してたんだ。いや何してたかと言えば、積読を消化していた……他ならぬ本シリーズ第一巻もそんな積読のひと積みであった。しかしそうしてシリーズ作品に踏み出したはいいものの、続きを読みたいと思ってもリストの先にはまた別の積読、別のシリーズ作品が控えているためになかなか続巻に踏み込めないという我がリスト式積読消化法の弱点に気づいたのはこないだのこと。気づけば新しく読み始めたシリーズばかり増えて、それぞれの進捗は一向に進まないという有り様。急遽講じた対策として、積読リストの他に読んでるシリーズを連ねたリスト、人呼んで、いや俺以外の誰も知らないので俺呼んで通読リストを作成し、以後積読リストとおおよそ交互くらいのバランスで順に消化していく所存。どうでもよすぎる前置きが長すぎる。
さてそんな風にもう読むの止めたと思われても仕方ないくらいの間が空いてしまったので、話についていけるか、いちど一巻を読み返したほうがいいかしらと案じていたが、コロナ禍に合わせて巻かれたフルカバーオビに「シリーズ2巻目ですが単独でも読めます」とあったので、これ幸いと復習はせずに、3年ものブランクなど感じさせない気さくさで、あるいは厚顔さでページを開いた。
実際、忘れていた設定に戸惑うこともなくすっと平然としたツラで話にのめり込むことができた。何故ならば舞台は前巻から遥かに時を遡っての現代、そして何より、物語は未知なる感染症に大いに苛まれながらも奮闘し続ける人びとを描くものだったからだ。なるほどフルカバーオビの「新型コロナウイルスが極度に恐れられている今、読んでほしい一冊です」とあるだけある、そこに描かれていた未曾有の災厄は、しかし目新しさを感じるものではなかった。見覚えがある。かつて(今も、だが)コロナ禍を通して見た光景を、作中の描写に当てはめられる。N95マスクとか、次亜塩素酸消毒液とかいう言葉を聞いても、SFタームだと思うのではなく現実にある道具として想像できる。感染対策や待機所の様子、風評被害の吹き荒れ様にいたるまで、後に現実で繰り広げられることになる光景をここまでシミュレートできていてすごいなあという思いと、そんなシミュレーションにまんまと当てはまってしまった我々への情けなさのような思いがわいて来る。まあ、目に見えないウィルスの挙動や性質をここまで解明できる力があるのだから、目に見える人間の挙動や性質なぞ言うに及ばずか。
しかし間に挟まった断章のわけのわからなさ、世界観スケールのカメラがガチョーンばりに拡縮を繰り返すのに、実感あるなあと思っていた脳味噌を激しく揺さぶられる。えぐいタイミングでタイプの異なる面白さをねじ込んできよる。物語の全体像をはやく見通したいししかしこの現代のごとき時代の行く末も見届けたいしで、大変だよ。でもちょっと見てみたら次の巻はもう300年後まで時間が進んでるんだよな。一応、登場人物たちの関係性はひととおり終着点を迎えたと言えるのだろうか。ココ島の女王となった千茅と圭伍の再会も見てみたかったけどな。ハマーン・カーンとクワトロ・バジーナみたいなことになりそうだが……。
結果的に1巻を読み返すことなく楽しめたけれど、2巻を読んだらまた1巻を読み返してあれこれ確かめたくなってきたので、まあ見事に術中である。救世群って1巻でどういう存在だったっけとか、セアキ・カドムのカドムって「コダマ」の転訛じゃない?そうだよね!とか。楽しくなってきたな。積読リストの整備もしたし、もう間の空く暇もなかろう。

最後に恒例にしたくなってきた、自作登場人物表。シリーズものは特にこれあると前巻の復習も兼ねられるから、元気にやっていこう。

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