3/6 『ぼくらののら犬砦』を読んだ
面白かった。
このぼくらシリーズ再読は基本的に、過去に読んだことあったり持っていたりしても角川文庫版を新しく中古で買って(新しく中古で買って?)読むこととしていたが、これだけは近所のブックオフをいくら探し回っても見つからず、仕方なく家にあった、20年以上前のかつて読んだそれを改めて開くこととしたのだった。平成10年の初版本、保存状態は最悪の一言。カバーは消え失せ表紙や角もぼろぼろ、頁は全体に満遍なく黄ばんでいる。確か、小学生のとき食中毒で入院して、そのときのお供に親が買って渡してくれたのではなかったのかな。そんな麗しき思い出を回顧しつつ、その食中毒の原因は学校からの帰り道にのどが渇いたからって、人んちの田んぼの用水路の水を直飲みしたせいだったなとかも思い出しつつ読んだ。
おはなしは、大学受験に失敗し浪人生活をはじめた英治が、恩師である北原が現在勤めている廃校寸前の中学校に助手として手伝いに行くということは覚えていたが、それ以外はさっぱりだった。北原先生が生徒たちを修学旅行に連れて行きたいからって、給料を全部競馬にブチ込んで無事爆砕するのとかも忘れていた。いや、落ちぶれすぎでしょ北原先生……英治と初めて出会った頃は若くて情熱溢れる爽やかイケメン系として出てきたはずだが。それから6年しか経っていないのだからまだ全然若手だろうに。いや、本人的には落ちぶれでも何でもないのだろうが。英治らとこんだけ付き合ってきてれば、そうもなろう。作中明言はされてなかったが、翌年には廃校が決まっている中学校に赴任させられたのも多分左遷だろうけど、溢れる情熱は失っていない。
一方、この人はなんも変わらんなと思ったのは矢場さんだった。この人、英治たちのやることをずーっと面白がってくれるんだよな。英治が浪人したことに対しても、勝ち誇るように「おれが、ストレートで入れるわけないだろう! 二浪だ」とか言うし。気持ちが好い。好奇心だけで世の中を渡っている。基本的に「ぼくら」の行動へのリアクションとサポート対応の人だけど、きっとこの人も「ぼくら」に多大なる影響を及ぼし続けていたんだよな。
こうしてみると、「ぼくら」よりもその周りの大人たちの変化などのほうに目が行く今作だった。まあ今回英治以外はあまり出番が無かったし(相原でさえもだ)、高校を卒業すれば「ぼくら」も大人の側としてカウントされているわけで。
そんな大人としての英治が向き合うことになる子どもたちはこれがまたクセスゴである。もはや前提条件のように、12人いる子どもたちの親の半数以上は育児放棄してたりそもそも子どもを捨てていなくなってたりと、ロクなもんじゃない。ただ、そうした家庭環境の問題に今回はほとんど触れていないのが特徴的だった。子どもらも平気でタバコ吸ってたり援交してたりするが、そこにはあまり触れない。親や社会から見捨てられたような子どもたちが、同じく社会から見捨てられたような中学校で、どう楽しく過ごすかということに焦点が当てられていた。英治含む大人たちから「今の子どもたちはドライだ」などと評され、たしかに作中で子どものひとりはある経緯から死んでしまったりもするのだけど、それで悲しんだり暗くなったりする様はあまり描かれず、あっさりしている。それは敢えてではないかとも思う。ドライな彼らを殊更ウェットにすることなく、ドライのまま、のら犬をのら犬のまま、強くたくましく描いていた。彼らとの別れも、英治はせいいっぱいエールを送るけど、それだけだ。ある意味で英治の対応もドライと言える。かつて大人たちに抗って生き抜き、そして今教師(見習い)となって子どもたちに抗われる立場になった英治の、子どもたちへの視線。それははからずも、大人になってからぼくらシリーズを再読して、彼らの活躍を眩しくも眺めている自分と、重なるところがあるように思えた。