自己犠牲について
皆さんヒーロー好きですよね?
ワンピースの中の男たちもみんなヒーロー好きです。
(ちなみに僕は全くヒーローものにハマらなかった質で、仮面ライダー、ウルトラマンなどを見ていた時期はマジで短く、5歳くらいからドラゴンボール最強!!!って感じの人間だったので、一般的なヒーローものはよく分かんないです。悟空もヒーローっちゃヒーローなんですけどね)
ただ、その中でもどういうヒーローが好きですか?
ヒーローにも色んな形があって、決めるのは難しいと思います。
ヒーローの定義は「ヒーローというのは~である。」という風に一概に決まっているわけではないと思いますが、ワンピースの世界ではヒーローの定義が一つ決まってます。
それは「ヒーロー=自己犠牲ができる者」です。
この理論はアンパンマンに基づきます。
尾田っちの正義はなに?という問いに対して
尾田栄一郎は、「アンパンマン大好き」と答えています。
この発言の意図については、尾田栄一郎画集 COLOR WARK 4 EAGLEでのやなせたかし先生との対談を見ると分かりやすいです。
このように正義というものは不確かなものでいくらでも変容してしまうが、その中でもお腹を空かせている者にご飯を与えること、人が川で溺れていたら、泳ぎが得意でなくても飛び込んで助けること、全く強くなくても誰かのために闘うことなどは絶対的に正義で、それを体現できる者がヒーローであり、「自分が傷つくことなしに正義を行なうことはできない」ということをやなせたかし先生は戦争で学んだらしいです。
アンパンマンはその体験を基に作られたキャラクターであると語っており、周知のとおり、顔が濡れただけで弱ってしまうし、新しい顔を自分で作ることはできないので、毎回バタコさんや、ジャムおじさんに助けを求める。それでも決して武器は持たず、自分の力のみで闘う「世界一弱いヒーロー」なんすよ。挙句の果てには、身を削ってまで(物理)他人を助けようとしますからね。アンパンマンはマジで自己犠牲の塊なんですよ。
ただ、このヒーロー論はあくまで一つの解答例なだけなので、一概にそうではありません。
例えば、主人公のルフィはたぶんこの理論に当てはまりません。
ここちょっと難しいんですけど、ルフィはヒーローではあるんですけども、逆?というかヒーローになりたくないと思っているんですよ。(無自覚ヒーロー? 尾田栄一郎はルフィの様にヒーローとして崇められるのを嫌う者こそが真のヒーローだと暗に伝えているのかも?)
ルフィはヒーロー大好きです、ルフィは尾田栄一郎が考える理想の子供像なんで、男の子が好きなものは大体大好きです。
しかし、ヒーローには頑なになりたがらない。
なぜかというと先述した通り、ヒーローというのはアンパンマンの様にご飯を分け与える者と考えていて、「おれはご飯を分け与えたくねぇ」と思っているからです。
これはまあ、対等・同じ目線である”友達”であることにこだわっているからですかね。
これに関しては否定的な意見の方も結構いると思います。
例えば「お前ワノ国でお玉に飯食わせてたじゃん!ヒーローやってるじゃん!」っていう方がたまにいらっしゃるのですが、それはちょっと違くて、そこに関してはルフィはお玉に飯を食わせてもらったことに対する恩返しの意図があるんですよ。(お玉はご飯を全く食べておらず、挙句の果てには汚染水を飲むまで謎に我慢していたんですよ!)
そこまでして飯を与えてもらったんだから、もらってばっかりだと対等じゃないし、けっこう年上だからルフィの考える年上なりの行動をしてるだけなんですよ。
まー、だからルフィはヒーローなんだけどヒーローではない、ヒーローじゃないけどヒーロー。というか、これこそが尾田栄一郎が考える理想のヒーロー像なのかもしれない。ヒーローたる者、ヒーローになろうとするなかれ的な?まあここではルフィはヒーローではないってことにしときます。
利他も美徳/美談みたいなものになってしまうと、それはもう利他ではなくなる、本末転倒、形骸化してしまうみたいなことを誰か言ってたような気もするし、無意識で他人に優しくしてた奴が、いざ他人から「あなたって優しいよね」と褒められた途端、俺って優しいんだ、他人に優しくできる人間なんだと思い込み、それが一種のアイデンティティになっちゃって、「俺ってマジで優しいから~」「人の話し聞いてあげて、相手を否定しない俺マジ優しい」って勘違いする人間いっぱいいるもんね。
ヒーローである自分に酔ってるヒーローってなんかダサいもんね。
まあこれに関しては、みんななりがちではある。
エッグヘッド編を見ている人達は分かるだろうが、くまという男はめちゃくちゃ優しくて自己犠牲の塊である。
くまはワンピースの中では、明確にヒーローとして描かれているんですよ。
彼はルフィとは違い、ヒーローに憧れ、なりたいと思っている。
がしかし、くま自身は自分はヒーローではないと自覚している。
いや~ここら辺のルフィとくまの関係性良いっすよね。お互い自分の事はヒーローではないと思っているが、相手の事はヒーローだと思っているし。
っていうか、くまがかっこよすぎる、マジで粋だよ。
直接的に何かしてあげるわけでもなく、ひっそりと手助けしてあげて、表面化しない生きてきた証を残していくのが神、愛だよ。
で、ここでだよ、僕はルフィみたいに無意識的にヒーロー的行動できる人間ではないと思っているし、くまみたいにヒーローに憧れてきた人間です。
たぶんどっちのタイプも素晴らしいとは思うし、尾田栄一郎君もそういう風に言ってると思いますが、ルフィが主人公である以上、ルフィ的ヒーローが上というか、優劣はないと思うんですが、そっちの方が良いと感じちゃいます(笑)
一般的にルフィのまんまと言われている尾田栄一郎君も、たぶんくま側の人間で、なりたい自分というか、ルフィみたいな人間が居たらいいなって気持ち、ある種の憧れの具象化がルフィだと思ってます。じゃないとたぶんワンピースを描けない。
尾田君がせっかくこうあるべきだ!!って描いてくれてるけど、やっぱりヒーローになりたいですよね。
無意味とか自己満でもいいから誰かの為に何かしたいとか、死にたいとか、そういうのがかっこいいと思ってしまうタイプなんですよね。
たぶんこれは高貴な死、贅沢な死を求めていて、見る人からしたら「あ~ハイハイ、まだそこね、あるあるそういう時期w」みたいな感じで嘲笑されるのかもしれません。
ここまでで話したいことはほぼ終わったんで読むのやめていいです。
こっからは話が少し変わるんで。
上で自己犠牲という言葉が出てきましたけども、皆さんどういうイメージをお持ちですかね、たぶん一般的にはあまり良いイメージはないと思います。
ネットでも調べる感じ微妙だったし、まず「自己犠牲」って文字面からも良さそうに見えないよね、第一印象絶対悪いわ、「犠牲」って言葉入ってるし、明らかにフレンドリーな言葉ではない。
↓ こっから言いたいことを言語化できていないので、汲み取ってください。
ただ、尾田栄一郎という人間はそれを解決?したんですよ!!
解決というと良くないな、ワンピースの中での話ですが、「自己犠牲」という意味の転換?保留?イメージの払拭に成功したんですよ?(笑)
言語化できてはないんですけど、漫画のコマがあるので、わざわざ言語化しなくても良いかなってことで、、、。
このシーンでどう思うかは、人それぞれかもしれませんが、ワンピースを読んできたら、うわーって思いますよね。(自己犠牲について悩んだことがない人間には刺さらないのかもしれません)
ワンピース世界の中では?というか世界政府など汚い大人として描かれている人間は大体自己犠牲(他人のために自分を犠牲にする行為)を馬鹿にする傾向にあります。
それに対して、「サービスだよ」って答えるのは痺れます、その言葉は中々出てこん。俺が悪役で、死に際にそんなことを言ってくる奴いたら絶対印象に残る。
ただ、ネットを見ると理解できていない人、なんなら批判している人まで(笑)
僕が見たので、印象的だったのは、最近ワンピース界隈を賑わしている「ワンピースがつまらなくなった理由」を書いてる人の記事でした。
なんか見る感じ自己犠牲、サービスの定義に縛られすぎてるように見受けられる(笑)
自己犠牲ってサービスと意味同じじゃん!答えになってない!みたいなこと言ってて、さすがにそれは笑わざるを得なかったです。
まあ、確かにサービス残業って言葉もあるし、自己犠牲的な意味合いもあるけど、そうじゃないでしょ、そこは普通に飲食店とかで定食を頼んだら「これサービスね」って感じで温泉卵が付いてくるみたいなことでしょ。
ネットとか辞書で書いてある定義に縛られすぎ(笑)
さすがにこの誤配はダメなんじゃ?完全にホリエモンにブチギレられるやつ(笑)
この方が言ってること毎回言いたいことは分かるが、さすがに難癖すぎやろって感じなんすよね、もっと面白かったらちゃんと見るんだけども。
まあ、こんなことはどーでも良いんだけど、俺は何が言いたいんだっけ、、、