婚姻届けと社会性
弟が結婚した。
「挨拶」のために、すでに2人が暮らしているマンションに、両家の家族が集まった。
挨拶と言っても簡易的な形式のもので、婚姻届けを書くことが目的だった。
2人は、緊張している様子だったが、この日のために用意していたバウムクーヘンを皿に盛り、参加者に紅茶とコーヒーを選ばせてスムーズに会を進行している。
「あの弟が結婚・・・」
信じがたいその事実を何度も反芻しながら、消化に努めた。
しかし、胃もたれするような事実は次々と開いた口に放り込まれる。
「本日はお集まりいただきありがとうございます。この度、僕たちは結婚することになりました。今後とも2人のことをよろしくお願いします」
バウムクーヘンと飲み物が全員に行き届いたことを確認した2人は並んで座り、弟が代表してそれらしい言葉を発した。
立派なものだ。バウムクーヘンがのどを通らない。
ここに新しい社会が生まれている。
そして、その社会を切り開いているのは、あの、弟だ。
わがままで、工作ばかりしていて、外遊びしていて嫌なことがあればすぐに家に帰ってしまう、あの、弟。
年中子供用の黒いブーツで、子供用の炎柄自転車に乗っている、あの、弟。
立派な言葉を発しているが、照れて笑っているのが、人間らしさと社会性を感じさせる。
私が弟より数年長く生きていても獲得できなかった社会性を、弟はどこで身に着けたのだろう。
新しく夫婦となった2人には、どちらにも1人の姉がいたため、保証人の欄は姉が書くことになった。
私は、突然発生した責任に戸惑った。
新しく誕生した社会の中にいるには、大きく育った自意識ほど邪魔なものはない。
「すごいなあ、弟。社会性、あるなあ。すごいなあ。私は・・・」
などと考えている傍ら、顔面にはそれが表出しないようにあいまいな笑みを張りつけておいた。
それすらも邪魔な自意識の表れであることに変わりはないが、とにかく、参加せずにいようと思っていた場に突如として参加の責任を与えられたのだ。
他の欄はすべて完璧に埋まった婚姻届けが、私の前に回される。
新しい夫婦は、「ここは何書けばいいの?」「間違えたら全部書き直しだぞ」「大丈夫だよ、そのために3枚もらってきてるから」と話しながら、1文字も誤記入することなく空欄を埋めていた。
そのやり取りまで克明に刻まれた婚姻届けが、私の目の前にある。
自分のことで役所に提出する紙とは緊張感が全く違う。
普段はほとんど反射で記入できる空欄の「住所」「氏名」という熟語の意味が理解できない。
視線は枠線を上滑りし、ペン先が震えていることが確認できる。
「あんまり見るとお姉さんも緊張しちゃうわ」と誰かが言うと、3組の夫婦が同時に笑った。
社会性がとげをむき出しにして私の周りを取り囲んでいるような気がした。
住所を頭の中で反復しながら、1文字ずつ確認して書いていったが、「区」の後がどうしても思い出せない。
思い出せないというよりは、頭の中に記号としての文字の形は浮かんできているのに、それを音声の伴う意味がある言葉として認識できず、紙に書きだすことができなかったという感覚だ。
しびれを切らした父が言う。
「代わりに書こうか」
私はうつむいたまま、紙とペンを横にスライドさせ、間に座る母経由で父に渡した。
こうやって助けの手を差し伸べてくれることをどこかで期待していたのかもしれない。
「何着ていけばいいかな」と母に相談し、なるべくシンプルできれいなものとして選んだパンツが、みじめにくすんで見えた。
いつまでも甘えが横行して、少しも社会になじもうとしない私の腹の中は、私にとっては異質でしょうがない社会性がベタベタにはりついていて、胃もたれしている。
帰りの車で、Creepy Nutsを聴いた。
2人がいつかのラジオで「今まで同じように過ごしてきたヤツが、急に挨拶とかできるようになってるの見るとびっくりするよな」と話していたのを思い出した。
「たりないふたり」の聞きなれた言葉が、やけに鮮明に感じられる。
私は自分の「たりなさ」を自覚して「それでいいか」と納得しかけたが、Creepy Nutsはたりなくても”ふたり”であることに気が付いて、胃をひっくり返したくなった。