失敗してよかったと初めて思った。

子ども相手の仕事をしている。
昨日、間違った対応で結果的に子どもを傷つける事態になってしまった。

詳しいことは書かないが、子ども同士のぶつかり合いに近くにいた私は全く気付くことができず、被害を受けた子どもが泣いて訴えてようやく事態を知った。その後は、本来であれば上司に指示を仰いで、双方の保護者に対して真摯に対応していくべきだった。その過程を私は高慢な自己判断により怠った。勝手に保護者に対応してから上司に報告するだけで済ませようとしてしまった。しかし、子どものことを真剣に考えている保護者にとっては納得いくはずがない。上司が電話で事実確認をして謝罪することになった。

その後も私は「間違ってしまった」と分かっていて落ち込み「今日の帰り道にスピード違反の車にはねられて死ぬ自分」を想像していたりして、逃避するばっかりで、解決策や次に同じ誤りをしない方法を考えることができていなかった。

次の日、今日になって改めて上司から指導がある。私は、恥ずかしながら、そこでようやく事の重大さと、現場にいた職員としての責任と、具体的な対処法を実行し次に同じ失敗をしないで成長する責任を自覚した。

「子どもを預かる事の責任」について、子どもは今目の前にいるこの瞬間だけに存在しているわけではなく、数年間親に育てられて大きくなり、これから先も何十年かけてその子特有の人生を生きていく存在なのだということを、言葉では分かっていてもその本質を理解することができていなかったのだと思う。

今回加害してしまった子どもの保護者が「どうしたらいいでしょうか。うちの子どもが大変なことをしてしまって、相手のこともあるし、子どもの将来もあるし、どうしていったらいいか悩んでいる」と話しているのを目の当たりにして、その子どもの人生を預かる仕事の重大さに気づかせてもらった。

上司は、私の成長のために、私に最後まで責任を取ることを教えてくれたと思う。被害を受けた子どもの保護者に、加害してしまった子どもと一緒に謝罪しに行き、同じ場所にいて、しっかり気付くことができず、抑止も子ども同士の話し合いもさせられなかった私も同罪だと伝え、頭を下げる機会を与えてくれた。

こんな風に自分の責任が直接的な意味を持つ経験は今までになかったように思う。学生の時や就活の時は、どんなに失敗しても「どうせ私はダメだし。落ちこぼれ」と自己否定に甘えて殻にこもっていてもそれっきりで、自分がダメになっていくというそれだけだった。恥ずかしくなったら逃げればよかった今までの人生が恥ずかしい。

子どもの時から失敗しないように守られて、失敗してもその意味を考えるように指導されたことがなくて、その代わりに自分の内面で自分の存在を否定するだけだった。成長を促されて成長したことが今までなかったのは、人生において損だった。これまでは恥じるべき人生だ、、、、

今回の失敗でも、初めは自分の存在をただ否定しているだけだった。それでもどうしても逃げられない現実を突きつけられて、自分の力で成長しなければならない場所に追い詰められた。それは、私にとって必要なことだった。本当にありがたい。

上司は、私の頑張っているところを認めてくれる。日々の業務は、朝出勤しながら「このまま何かに車ごと突っ込んで人生終わらせたい」と思うほど辛いが、それも私にチャレンジさせている結果だ。それに甘んじて私はなんでも自分でできるように勘違いしてしまった。そして具体的な問題は表面的な解決策しか考えられず、いつも私の頭の中は「いつ死ねばいいかな」という逃避ばかりだった。私の存在がダメだったのではなく、逃避癖の思考回路と深くまで責任を取る覚悟がないのがダメだった。私は自分に何ができて、何ができないのかを正確に測ることができていなかった。だから高慢な自己判断をしてしまった。今回のような失敗は日々の業務の中でいつか必ず起こるはずのことだったのだ。こんな高慢な考えではうまくいくはずがない。

「謙虚な気持ちと感謝の心が大切」と今日何度も言われた。「プライドを捨てて学びなさい」とも言われた。

「あなたの給料はそういう責任の上にあって、それで生活をしている」「この仕事はいくら理論を積み上げてもその子どもを思う気持ちには敵わない」「わからなくて知識とか学歴を求めているうちはまだまだ」「頭でっかちはいつか転ぶ」「先の先まで考える」「深層心理にまで到達するくらい相手の気持ちを考える」・・・

子どもに関する福祉の仕事である以上、どんなにその子と接する時間が短くても、その子を取り巻くさまざまな人間、時間、環境との関わりを考えていなくてはならない。そして、その子と接する1日数時間の間は、その子の人生に加担していることとその責任を自覚しなくてはならない。今まで表面的な対処法ばかりしか考えていなかったことがよく分かった。どれだけ自分が分かっていないかということがよく分かった。

そんな風に、私の成長まで考えてくれる存在というのは、本当にありがたい。なかなか出会えないと思う。両親ですらそうでなかったのだから、人生をかけて返さなくてはならない恩が今日できたと言っても過言ではない。

子育て経験もないから、自分の中の「子どもスキーマ」を獲得するのにある程度の勉強や知識は無駄ではないと思っているけど、今までは今回のように責任をとることを覚えさせてくれるように大切にされたことがなかったのだから、子どもたちの将来や成長を考えて大切にすることができるはずがなかったのだと思う。だから表面的なことばかり考えていた。そのことに気づかせてもらえてありがたい。

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