《創作小説》鏡に映るは幻か——多層トリックが交錯する連続殺人の迷宮
プロローグ
四方を山に囲まれた地方都市・鏡ヶ丘(かがみがおか)。温泉街として栄えた往時の面影は薄れ、いまは閑散としたシャッター通りばかりが目立つ。そんな町に、突如として現れた新しい観光施設がある。その名も「鏡の迷宮」。
完成間近の大型アトラクションとして注目を集めていたが、開業を目前にして不可解な殺人事件が起きる。血に染まった被害者、消えた証拠品、不自然な証言の数々……。
町に戻ってきた刑事・神谷 真一(かみや しんいち)は、鏡が幾重にも反射する迷宮の奥で、一連の闇に踏み込むことになる。
第一章 再会と死体
警視庁捜査一課から故郷の鏡ヶ丘署へ転属となった神谷は、寂れた駅前に降り立つ。十数年ぶりに見る町の風景は、どこか煤(すす)けたように沈んでいた。
駅前ロータリーからほど近い場所に、大きな鉄骨造りの建物がそびえる。壁面には「鏡の迷宮・グランドオープン間近!」と書かれた巨大看板。かつてはここに倉庫街があったと聞くが、その一部を改装して町の目玉アトラクションを作っているらしい。
「ここが町の新しいシンボル……なのか?」
神谷は複雑な感情を抱えたまま、広い建物を見上げた。
転属初日、その不穏な知らせは突如として舞い込んだ。
「町長の秘書・安藤の遺体が鏡の迷宮のバックヤードで見つかった」
安藤は再開発の事務局を仕切る重要人物。なぜ彼が倉庫で血まみれの姿で倒れていたのか。
現場に急行した神谷は、青白い照明の下、遺体を取り囲む鑑識班の姿を目にする。
「死亡推定時刻は昨夜22時前後。頭部を鈍器で複数回殴られた形跡があります」
鑑識係はそう報告をするが、周囲の荷物が荒らされた形跡は奇妙なほど“中途半端”だ。大事そうな書類フォルダだけが抜き取られたようにも見える。
「強盗にしては目的がはっきりしないな……」
呟く神谷の横で、若手刑事の坂井が小声で告げる。
「じつは、被害者が最後に目撃されたのは“迷宮の通路”らしいんですよ。閉館後に、あそこに何をしに行ったのか……」
第二章 迷いの館と不可解な証言
事件翌日、施設は一時的に封鎖されたが、神谷は捜査の一環として「鏡の迷宮」へ足を踏み入れる。案内してくれるのは、町の観光局職員・山科(やましな)。このプロジェクトの中心人物だという。
入口をくぐると、いきなり鏡の壁が待ち受けていた。壁・天井・床までもが反射素材でできており、光源があちこちに仕込まれているため、進む先の空間がどれも同じに見えてしまう。まるで万華鏡の中を歩いているかのようだ。
通路を抜けた先で、神谷はある鏡の金具が一部緩んでいるのを見つける。試しに押してみると、鏡が横にスライドし、奥に隠し通路らしき空間が開いた。
「これは……メンテナンス用の裏道です。通常は一般公開しませんが、私が知る限りは工事業者しか入らないはずで……」
山科はしどろもどろに言い訳するが、神谷の目には、この“隠しルート”が今回の事件に深く関わっているように映った。
さらに神谷は別のスタッフから奇妙な話を聞く。「閉館後の夜22時ごろ、迷宮の中で安藤さんらしき人影を見た」という目撃談と、「22時ぴったりに安藤さんが倉庫付近を歩いていた」という別の証言が同時に存在するのだ。
「同じ時間帯に、安藤は鏡の迷宮にも倉庫周辺にもいた……? そんなことはあり得ない。どちらかが錯覚か、嘘をついている?」
だが、迷宮内の鏡反射のせいで「2人分に見えた」可能性も否定できない。証言の混乱は、鏡が生む錯視によって加速していた。
第三章 時間差とアリバイの狂い
捜査を進めるうち、安藤が死亡した“正確な時刻”に関しても疑問が浮上する。監視カメラのタイムスタンプや、施設内の時計表示が微妙にずれているのだ。
「迷宮のメインモニターは21時50分から22時10分まで記録が残っていない。機械トラブルかもしれませんが、それと死亡推定時刻が重なるのは偶然にしては出来すぎだ」
坂井が訝しむ。神谷もまた違和感を抱く。犯人が意図的にカメラを止めたのだろうか。
さらに妙なのは、安藤が“22時10分を過ぎても生きていた”と証言する人物が現れたことだ。
「22時すぎ、安藤さんからメッセージが来て、10分後に電話で話した」という同僚の証言がある一方、医師の見立てでは「安藤は遅くとも22時少し前に絶命しているはず」となる。
となると、メッセージや電話は誰が送ったのか? 犯人が安藤の携帯を操作し、生存を装って時間差をつくった可能性が浮上する。
第四章 闇を嗅ぎ回るジャーナリスト
その頃、神谷の前に現れたのがフリージャーナリスト・滝沢(たきざわ)だった。過去に地方自治の闇を暴いた大スクープで名を馳せたが、近年は目立った活躍がないという。
滝沢は開口一番、こう切り出す。
「安藤と会う約束があったんだよ。ここ“鏡の迷宮”の裏に大きな利権が眠ってるって聞いてね。そいつを世に曝(さら)してやろうと思ってたら……まさか殺されちまうなんてね。」
どうやら安藤は“ある機密資料”を滝沢に渡そうとしていた。内容は再開発計画の不正と、町の実力者・楠木(くすのき)の黒い噂を裏付けるものだという。
「鏡ヶ丘市には大地主の楠木が君臨している。町長や議会も彼の言うことには逆らえないらしい。安藤は楠木の弱点を握っていたんじゃないか? それで消された……ってとこじゃない?」
滝沢は疑心暗鬼を煽るように囁(ささや)くが、彼自身にも何か隠していそうだ。神谷は滝沢がどこまで本当のことを知っているのか計りかねた。
第五章 地下水路と隠された再開発計画
やがて、安藤が“過去の再開発計画”を念入りに調べていたことがわかる。その計画は十年前に頓挫しており、地下水路を観光資源として再利用しようとする目論見があったらしい。
古い役場の資料室で神谷が地図を探すと、「鏡の迷宮」の建設予定地と、旧来からの地下水路が重なる箇所を示す図面が出てきた。そこには“メンテナンスルートと倉庫の直通トンネル”がある可能性を匂わせる古いメモ書きが残されていた。
「もし、安藤は迷宮の地下で殺され、その後遺体を倉庫へ移したのでは? あえて倉庫内を荒らすことで“ここで殺された”と偽装し、時間差をつくったのかもしれない……」
神谷がそう推理する一方で、容疑者が増えすぎている。山科、滝沢、そして楠木。誰もが怪しく見えるが、決定的な証拠がまだ足りない。
第六章 目撃証言と鏡の錯視
捜査の進展を阻むのは“鏡による二重目撃”だった。複数の証言者が口を揃えて「迷宮の中で安藤らしき人影を見た」「いや、倉庫に入るのを見かけた」と語る。
ある若い女性客は、「22時ギリギリに、鏡の通路で誰かとすれ違った。でも、その人が二人にも三人にも見えて、自分が錯覚を起こしたのかも……」と証言する。
神谷は気づく。“錯視”という言葉を免罪符にすれば、いくらでも嘘を混ぜ込めるのだ。「見た気がする」「多分あの人だ」と証言されても、鏡のせいで記憶が曖昧になり、真偽を区別しづらい。
さらに迷宮内の監視カメラ映像には、時刻が逆転したような断片が混じっていることが判明。画面には安藤が21:55に通路を歩く姿と、なぜか安藤が22:05にも同じ通路を横切る姿が映っている。
「どちらかが別人か、録画を切り貼りしたか……? または鏡を通じた二重映像……?」
神谷は頭を抱える。もし犯人がシステムをハッキングして映像を繰り返し再生させたなら、安藤が“生きていた時間”を錯覚させることができる。
第七章 背後に見え隠れする楠木の影
そんな中、町の実力者・楠木の邸宅へ再び足を運んだ神谷は、冷ややかな歓迎を受ける。
「警察といえど、あまり町の発展を妨げるような行為はしないでいただきたい。こちらも協力するとは言いましたが、これ以上ないほど調べた結果、私に疑う余地があると?」
楠木の態度は飄々(ひょうひょう)としながらも、どこか威圧的。背後には用心棒のような男たちが控えていて、簡単には尻尾をつかめそうにない。
しかし神谷は、安藤が命を懸けて集めていたという“決定的資料”が楠木の汚職を示すものである可能性を確信していた。犯人は楠木本人か、それとも部下か――あるいは別の誰かが楠木を利用しているのか。
第八章 “もう一人”の殺意
事件から数日後、警察は「さらに殺人が起きる」と警戒を強める。理由は、ジャーナリスト・滝沢が「自分も狙われている」とSNSで不穏なメッセージを発信したからだった。
「安藤の次は俺かもしれない。何しろ、あいつが手に入れた資料のコピーを俺も手にした……。犯人はそれを知っているんだろうね。」
表向きは強気の滝沢だが、実際は相当焦っているらしい。
神谷は迷宮内部や倉庫周辺の警備を強化し、滝沢を守ろうとするが、どこか腑に落ちない。滝沢の目的は何か? 「大スクープを狙うために敢えて危険を煽っている」可能性も否めないのだ。
第九章 真夜中の鏡の迷宮
ある夜、神谷は施設内で不審な人影が動いているという通報を受ける。迷宮は当然閉鎖中だが、裏口の鍵が破られているとのこと。
非常電源のみが点灯する薄暗い通路は、以前にも増して不気味な雰囲気を放つ。鏡に映り込むのは自分の姿なのか、それとも……?
やがて、隙間の鏡を抜けた先に広い空洞を発見する。そこは迷宮と倉庫を繋ぐ“地下水路の一部”らしく、足元にはコンクリートの補強跡が見える。ライトを照らし進むと、奥で言い争うような声がかすかに聞こえた。
通路の突き当たり、倒れ込むように座り込んでいるのは――観光局職員・山科。そして、その前にはジャーナリスト・滝沢が立っていた。
「やはり資料を持ってたのはあなた……滝沢さん……?」
神谷が問いかけると、滝沢は憔悴した顔で振り返る。
「安藤から受け取るはずだった資料の一部を、俺はこっそり手に入れていたんだ。だけど、この人(山科)が“渡せ”と脅してくる。こいつこそが安藤を……」
滝沢が叫んだ瞬間、山科が反撃に出る。
「違う! 私は殺してなんかいない! ただ、安藤が楠木さんに歯向かえば、プロジェクトが全部ダメになると思って……。ええ、証拠を隠すよう仕向けただけよ。でも本当の犯人は……」
そこへもう一人の足音が響く。暗闇から姿を現したのは、意外にも楠木ではなかった。町長の秘書室から派遣された別の男だ。彼は楠木の腹心と噂される存在で、普段は表に出てこない。
「手間をかけさせてくれる……山科、滝沢、どっちでもいい。黙らせる必要があるなら、やるまでさ……」
第十章 多層トリックの解明と決着
地下通路に鳴り響く衝突音。男は拳銃らしきものを取り出すが、神谷は隙を見てそれを叩き落とし、激しい乱闘の末に制圧する。
問い詰めると男は白状を始めた。
- 安藤殺害の手口:
1. 殺害現場は迷宮の地下。鏡や通路を操作して安藤を誘い出し、計画の内情を漏らす前に殺害。
2. 遺体を倉庫に移して現場を荒らし、「倉庫で殺された」と思わせる。
3. さらに安藤の携帯を使って22時以降も生存を装うメッセージを送信し、死亡推定時刻をずらしてアリバイを偽装。
4. 迷宮の監視カメラには、鏡と映像の再生時間トリックを組み合わせて“安藤が2度登場したように見せかける”工作を行い、捜査を混乱させた。
「つまり、お前は楠木に雇われていたのか?」
神谷が問うと、男は苦しげに吐き捨てる。
「楠木さんは自分の手を汚す必要などない……俺が勝手に動いただけだよ。でも、楠木さんには計画を潰されたくない理由が山ほどあった。あの安藤や滝沢が持ってる“資料”さえ消せば、すべて丸く収まったんだ……。」
山科もまた、この秘密を黙認していた。自分のキャリアを守るために、安藤を説得しようとしていたが、まさか殺害までは想定していなかったという。滝沢は最後の切り札として資料を保持し、記事にして世間を揺るがせようと企んでいた。
そうして互いの思惑が交錯するなか、殺人の舞台装置として利用されたのが“鏡の迷宮”だったのである。
エピローグ 終わりなき迷宮からの一歩
最終的に実行犯である男は逮捕され、事件の全貌が明るみに出る。楠木自身も世論や警察の追及を受け、政治的影響力を失いつつあった。山科は共犯とはいえ殺人未遂には直接加担しておらず、罪に問われるかどうかは捜査の進展次第。滝沢は一連のスクープをまとめようとするが、これから先も困難が予想される。
鏡の迷宮は、再開業が白紙に戻った。過疎化に喘ぐ町の大切な起爆剤になるはずが、皮肉にも“殺人トリックの舞台”という不名誉な烙印を押されてしまったのだ。
事件解決の翌朝、神谷は薄曇りの空を見上げながら施設の正面に立つ。まだ鏡の装飾が剥がされずに残っており、自分の姿が反射して見える。
「鏡が映し出すのは真実とは限らない。でも、だからこそ人は迷わされる。今回の事件も、多層のトリックでみんなが惑わされた……。」
神谷は静かに息を吐く。やがて背を向けて歩き出すその姿も、鏡の中では何重にも増幅され、まるで「もう一人の神谷」が手を振っているかのようだった。
闇は消え去ったわけではない。だが少なくとも、迷宮を覆っていた虚飾と錯覚の幕は下ろされた。
そう信じながら、神谷は新しい日常へと足を踏み出すのだった。