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この悔しさを、僕はこの先一生忘れることはない

2021.01.06

僕はこの日を一生忘れないだろう。冬空に大きく響き渡ったホイッスルとともに、17年間のサッカー人生が終了したあの瞬間を。

全国大会初戦。延長の末、1点に泣き、敗退してしまった。

なんとしても勝ちたかった。チーム目標である全国ベスト16をなんとしても達成したかった。もっとみんなとサッカーをしてたかった。

僕は最後のホイッスルをベンチで迎えた。スタメンで出場したが、延長後半に交代を告げられ、ベンチで引退を迎えた。

負けた瞬間、泣いた。今までほとんど泣いたことがなかった自分が、驚くくらい大泣きした。負けた悔しさ、自分が勝利に貢献できなかった申し訳なさ、皆んなとのサッカーが終了した悲しさ。色々な感情が溢れ出てきた。

この日のために4年間、色々なものを犠牲にしてサッカーにかけてきた。ある意味4年間の答え合わせだった。17年間のサッカー人生の答え合わせでもあった。

捨て身の覚悟で4年間サッカーに捧げることを誓った

高校3年の冬。冬らしい寒さの到来と受験勉強がまさにシーズンとなっていたあの冬。

「全国大会に出る」

僕は、大学4年間をサッカーに捧げると誓った。全国大会に出場するというたった一つの、ただすごく大きな目標だけを追いかけることを誓った。

捨て身の覚悟だった。

難関国立に入学するために進学校に進学した。高校1年生から、受験勉強を見据え、予備校に通っていた。高い予備校代をかけながら、たくさんの参考書を買い込み、目標とする大学、地元に近い神戸大学に入るために勉強した。

経済的に決して裕福ではなく、弟もいる中で、相当な負担を両親にかけた。母の帰りが日に日に遅くなり、疲れがどんどん溜まっていくのは明らかだった。その姿を見るのが苦しくて、絶対にいい大学に行って、いい会社に就職して、親孝行するという強い気持ちに勉強のエネルギーを変え、必死に努力した。

その甲斐もあって、成績は上がっていき、高3の時にはいよいよ目標としている神戸大学に手が届きそうなところまできた。秋は神戸大学対策の模試を受験し、参考書をやり込み、予備校の授業も特化した。

そんな中での決意だった。高知大学に行って全国大会に出る。高校サッカーをテレビで見ながら、「まだやりたい」「大きな舞台でサッカーをしたい」そう思った。正式に受験先として高知大学にしたのは、センター試験後、ギリギリだった。

当然周囲からは反対された。周りの声などあまり気にしない性格だったからほとんど受け流していたが、母に反対されたことだけは一番辛かった。親孝行するはずが、親不孝にしてしまっているのだから。またお金のかかる選択をして、苦しませてしまっているから。自分でもわかっていた。

けど、自分に嘘はつけなかった。自分の気持ちを蔑ろにできなかった。結果を出して、この意思決定を正解にするしかない。そして、両親を喜ばせる。

捨て身の覚悟だった。

自分にベクトルを向け続けた

とにかく自分と向き合い続けた4年間だった。

自分が全国大会に出るためにやるべきことは何なのか。チームが全国大会に出るために自分はどんなバリューを発揮するべきか。どれだけ、周りを言い訳にせず、周りにベクトルを向けず、自分との戦いに打ち勝てるか。

無名高校からきた自分が、1年生からトップチームに入れたのも、2年生で全国大会に出られたのも、3年生に休部したのに4年生でスタメンになれたのも、自分にベクトルを向け続けたから。

試合に出るために、やりたくなかったポジションも、プレースタイルもやり続けた。泥臭いプレーで、周囲と差別化を図った。練習中から体を張り続けた。常にチームにポジティブな声をかけ、どうしたらチームが良くなるかを考え続けた。

そう4年間やり続けられたのも、捨て身の覚悟で決めたから。自分で決めた選択を正解にすると強く決めたから。

次への宿題

大きな目標を、自分で設定し、エネルギッシュにそれを推し進め、達成する。

サッカーという1スポーツで、全国大会に出るという1目標で、僕は本当に人として大きな成長をし、社会に出ていく勇気を得ることができた。組織が良くなるために自分はどう行動するべきか。結果が出るために何をするべきか。そういう人間に、なることができた。

そう成長を実感できたからこそ、勝ちたかった。もっと上を目指したかった。

自分が立てた「全国大会に出る」という問題に対する答え合わせには正解した。ただ、それと同時に、「目標以上の結果を出すためにはどうするべきか」という新たな問いを出されたような気がする。

何が足りなかったのか。自分は次にどう成長すればいいのか。

あの流した大粒の涙と、溢れ出た様々な感情を無駄にせず、次のステージでのヒントとして胸に刻み込む。その決意と、17年間の最後にやっと結果が出た自分への労い、そして両親への感謝を持って、17年間のサッカー人生の終了としたい。

ありがとう、サッカー。こんにちは、次なる人生。

※大学に入るまでの葛藤を書いたブログもここへ記しておきます。

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