「おはよう、原宿」~夢の同潤会アパート暮らし~
こんな記事を昨日書いたのですが、
それより前にこんなことがありました。
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90年代のある日、友人たちと表参道あたりをぶらぶら歩いていて、ふと視線を右にやると、そこには古いアパートが。
それまで表参道に来たことがなかったわけではないけど、実際その時初めて気づいたのだった。
私は早速、そこに入っている店に行くふりをして、アパートに入ってみることにした。
古いアパートだけど、何軒か店舗が入っていて、人が暮らしているにおいよりは、金のにおいが強くなっていた印象だった。
ところどころ、ポップなピンクを多用したブティックなどに改装されていたし。
だけど一歩足を踏み入れてみると、やはりそこは昭和のにおいのするアパート。
窓から表参道を見下ろすのは最高の気分だった。
こんな大きな街に、人が暮らすところがあるなんて。
こんな例えで申し訳ないが、新宿アルタのとなりにアパートがあるような、私にとってはそのくらいの衝撃だったのだ。
「ねえねえ、私、ここに住んで、毎朝窓から『おはよう、原宿!』って言いたい!」
友人たちは「またなんか言ってる」みたいな感じで聞き流していたけど、そのときは結構本気だったかもしれない。
それが同潤会アパートの一つ、「青山アパートメント」だったということを知ったのもあとになってからのこと。
そのうち私は東京を離れて田舎に戻り、「青山アパートメント」もいつの間にか「表参道ヒルズ」になっていた。
表参道ヒルズは写真でしか見たことがないけれど、もし行ったとして、そこから表参道を見下ろしても「おはよう、原宿!」と言う気にはなれないと思うのだ。
だって、商業施設になっちゃったんだもの。
それは東京タワーだとか、池袋のサンシャイン60とかでも同じことで、たまたま行った商業施設の高いところから叫んだって意味がない。
「表参道に暮らす」という、自分の生活のベースを作ることで初めて「おはよう、原宿!」と言う資格があると、私は考える。
「よおよお、おのぼりさんたち、原宿へようこそ。私はここに暮らしているんですよ」
おそらく、こういう気持ちを味わいたかったんだろうな。やらしいな。
同潤会アパートはすべて解体され、多くが商業施設など、再開発に使われたようだ。
21世紀の今、楽しむ街と暮らす街が分断しているのが、もう当たり前になってしまった。
今の私は、暮らしているマンションの4階の部屋から、駐車場を眺めるのが関の山。
だけど、あの古いアパートの、あの空気は、まだ私の肺のどこかに居座っている。
私は、いつかきっと、青山アパートメントに住むんだ。根拠はないけど、そんな気がしてならない。
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初めての海外旅行でロンドンに行き、毎日キングス・ロードを上から眺めていた話は↓こちら↓