【エッセイ】3人以上集まると、わたしは黙ってしまう
自分のことを話すのが苦手だ。
3人以上で話している時は、特にそうだった。
2人で話していれば目が合うのは当たり前だけれど、3人以上となると全員の目がわたしに向くという時間が耐えられない。長く話すと長くその空間が続くので、どうしても短く話を切ってしまう。話が短すぎてオチまでいかず、気まずい空気になる。そうしてわたしは、もっと自分のことを話さなくなる。
以前友人に「そんなに話さない人だったっけ?」と言われたことがある。
それもそのはず。その友人とは、基本2人で会っていたから。
3人以上で会うのは珍しく、そうした場では黙ってしまうので、どうしても話さない人という印象を与えてしまうようだ。
この話を知り合いにすると、「わかる、大勢いると話し出すタイミングって難しいよね」なんて言われることが多いのだけれど、そうではない。
とにかく注目を浴びるのが苦手なだけなのだ。
もしかしたら、赤面症も影響しているのかもしれない。2人以上の視線を感じると、どんどん顔が赤くなるのがわかる。そうして耐えられなくなり、話を強制終了してしまう。
わたしはこの現象を「オーバー3コンプレックス」と勝手に名づけ、克服を試みていた。
しかし、名前をつけたところで克服できるわけはないし、それどころか名前をつけたことで自意識がより強くなり、なんだかより話せなくなったような気までしている。
そんな中、久しぶりに会う高校の同級生と3人で会う約束を取り付けた。
オーバー3コンプレックスを抱えたままのわたしは、恐怖に慄きながらその地へと向かう。今日こそは話そう。今日こそは克服しよう。
そんな意気込みは、一瞬で忘れてしまう。忘れてしまうほど楽しかったのだ。
誰がオーバー3コンプレックスだって? そんなものはまるで存在しないかのように、これまでの仕事や結婚生活について話し、一丁前に美容論まで語り散らかしていた。
同級生の話に笑い転げ、わたしもここぞとばかりに笑い話を披露し、帰路についた。
帰り道、改めてオーバー3コンプレックスについて考えを巡らす。
今まで苦労していたのはなんだったのだ、大丈夫じゃないか。珍しく喋り倒したわたしは、いい気になっていた。
次の日、社会人になってから知り合った人たちと4人でランチをする約束があった。
これまで4人でランチなど恐怖でしかなかったのだが、この日は足取りが軽かった。なぜならわたしは、コンプレックスを解消した、と、思っていたからだ。
…そう、ここでまたわたしは、オーバー3コンプレックスを再発してしまう。
なぜだろう。同級生と会う時は平気だったのに、今回はだめだった。
3人が大丈夫で、4人ならだめということはない。だって今までも、3人になると話さなくなっていたから。では、違いはなんだったのだろうか…。
そう考えて、わたしの中である仮説が立てられた。わたしはただ、見栄を張っているだけなのだと。面白くない人だとがっかりされたくない。こんな話をして、つまらないやつだと思われたらどうしようと、不安で不安で仕方がないのだ。
高校の同級生は、長い付き合いでわたしのほとんどすべてを見せている。いまさらつまらないも何もない。というより、つまらない話でも笑ってくれることがわかっているから、いくらでも話が出てくるのだ。
そこでわたしは、違和感を覚える。
面白くない人だとがっかりされたくない? それは、誰にでも持つべき感情なのだろうか。
誰にでも嫌われたくない、誰にでもつまらないと思われたくない。けれど、実際そんなことは不可能だ。誰にとってもおもしろい人など、レジェンドと呼ばれるお笑い芸人でも難しいだろう。なのにわたしは、ダウンタウンを越えようとでもしているのだろうか。
肩からふっと力が抜ける。
そうか、わたしは注目を浴びずに過ごすことで、嫌われないようにしていたんだ。でも、それと同時に、好かれてもいない。存在すら気づかれないよう息を潜めて、わたしの印象を残さないようにしていたのだ。
誰からも嫌われないけれど、誰からも好かれない。そんな人生が楽しいはずがない。
今日からは、もう少し自分の話をしてみよう。
それで嫌いだと思われても、別にいいと言い聞かせよう。大丈夫、わたしには同級生のような存在がいるのだから。
大丈夫、一人になるようなことはないのだから。
さて、次のオーバー3の日はいつだとスケジュールを見ると、なんと夫と義母とのディナーであった。
そんな難しい会合で、わたしはコンプレックスを解消しようとしているのか。……いや、これはノーカンだよな、と目を瞑り、次週のスケジュールへと目を移した。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?