彼との「違う」を受け入れる方法
前回、「花束みたいな恋をした」の感想を書いた。
その時私は旦那と「すでに合わない部分を受け入れた上で、一緒になったのだ」と記載している。
記載した通り、私と旦那には合わない部分がたくさんある。
デート中に食べたいもの、好きな居酒屋、服のテイスト、家具のチョイス……挙げたらキリがないほどに、私と旦那は合わない。
好きなアーティストが合うと喜んでいたのもつかの間、私は彼らのバラードが好きなのに、旦那はアップテンポな曲を推しているなんてこともざらだ。
それでも一緒に居ることを選んだ。
そこには何の後悔もなく、毎日が幸せに過ぎている。
とはいえ、何もかもを無条件に愛せるわけではない。
例えば、私が早起きして出掛けたい時に限って旦那は昼まで寝ている。
布団を干したいのに、外に出てやりたいことがたくさんあるのに、掃除機かけたいのに、せっかく天気がいいのに。
いろんな感情が渦巻いて、「一人だったらな」と考えてしまう。
自分で二人を選んだのに、一人の時の自由さに恋い焦がれてしまうのだ。
そんな時どうしているか。
私は自分の最低な部分を思い出すようにしている。
例えば先日。
旦那が楽しみにしていたドラマの録画がうまくできていなかった。
旦那に頼まれていたのに、ボタンを押し間違えたのだ。
私は見なくてもいいと思っていたのでケロッとしていたのだが、旦那はひどく浮かない表情。
それでも悪びれない私は、「しょうがなくない?」なんてコメディ映画の主人公のようなあっけらかんとした顔で開き直った。
今考えれば、かなり自分勝手な嫁である。
思い返すと、自分の悪い部分はかなりたくさんあって。
もちろんその度に反省はしているのだが、どこかで同じようなことをまたやってしまう。
直そうと思っているのに、直らない。
そういった部分が自分にもあるのだ。
そんな人間が、たかが時間の使い方のズレだけで旦那を卑下してもいいものだろうか。
そう考えると、旦那の行動への怒りは自然と収まっていく。
むしろ「私の愚行を許してくれてありがとう」とまで思えるので、かなりおすすめの方法だと思っている。
私は28年間、かなり自由に生活してきた。
それは旦那も同じだけれど、それぞれの持つ「自由」が一緒とは限らない。
それぞれが自由に過ごしていると、どこかで「違う」が生まれてしまうのだ。
せっかくお互いが自由に過ごしているのに、嫌悪感を持つのはもったいない。
自分には自分の価値観があって、旦那には旦那の価値観がある。
違って当たり前だということを、そっと受け入れて生きていけるよう、工夫を凝らしながら生活していきたいと感じた朝であった。
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