片手にピストル 心に花束
夏だ。夏になった。
ここ数ヶ月で新しいアルバイトを始めたりして、目まぐるしくはないけどどこか時間の流れがとても早く感じたりする。いつの間にか、というか、気付かぬうちに数ヶ月経っていることかざらにある。いつだって不安と楽しみが隣合ってゆらゆらと揺らいでいるのがわかる。
最近のエピソードを思い浮かべてみると、お盆にベタにおじいちゃんが夢に登場なされ、何かを手渡して消えていくという面白い体験をした。手渡されたそれはどこか冊子のようなリーフレットのようなはたまたフライヤーのようなものだったなと記憶に残っていた。私にそれを手渡した後、おじいちゃんは土に還っていってしまった。
夢を見た日はお盆で、母方の実家に帰っていた日だった。朝起きて「あれ、なんだったんだろうなあ」と考えた結果、父親が昨夜見ていたご先祖の遺稿集ではないかと勘づく。ちょうどリーフレットのような厚みだった。
誰の遺稿集なのか父親には聞けなかったけど、恐らく曾お祖父さんくらいのご先祖であろうと読み進めた。中には彼の一代記と俳句集が記載されていた。私の家系には詩を詠む人が多いなとふと感じる。私の祖母もライフワークとして短歌を詠んでいる。
当たり前だけど今とは時代背景が違いすぎて気が遠くなりそうだった。その人の一生なんて、たった数千文字で分かるはずはないけれど時代を生き抜くということはどんな時代であれどんな身分であれ、壮絶な出来ごとで大事件でありドラマでもあるよねなんてことを考える。そんなご先祖さまの人生をただただ今は受け止めるだけで精一杯なのだけれど。
もう少しで9月だし、夏終わっちゃうし、でも多分9月まで夏だよねなんて思いながら。わたしは生活していくのみなのだけど。
「少しずつ」という言葉と一緒に暮らしていこうと思う。