適応障害で休職になった その1
適応障害で休職になった。3週間前のことだ。
適応障害で休職になった、と言っても
精神科で診察を受けている時の自分は 発作的に会社を休んでしまった日よりは幾分落ち着いていたし、そこまで抑鬱気分に支配されていたわけでもなかった
ただ会社に行きたくないし、行くのが怖いし、もう全て 人生の為すこと全てを可能であればやめてしまいたいと そういう気分なだけだった
会社をしばらくの間休むという、その口実を得るためだけに受診を決意した
その割には診察のカウンセリングでボロボロと泣き出してしまってみっともなかったけど
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休職する、というのはあまり良い選択肢には自分には思えなくて、
休めば休むほど 自分が診断書に甘んじて惰眠を貪っていることへの罪悪感が募るばかりだった。
繁忙期の、最中での、突然の欠勤だった。
やるべきことをなんとか締切中にやり終えて、どうにか先週を乗り切った、
さあ今日からまたもう一山が待っている、という月曜日に 気持ちも体も動かなくなってしまった。
こんな忙しい時期にいきなり穴を開けた自分は本当に最悪だな、とよく思う。
SNSを眺めていたら、【言動じゃなくて、行動にその人の本性が現れる】みたいな格言なんだか決めつけなんだかよく分からない文言が目に止まった
じゃあ、忙しい時期にいきなり自己都合で休みとった自分は本当に最悪の、信頼できない人間じゃん、と己の怠惰っぷりを嘲笑って、泣いた。
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3週間も休みをとって、だいぶ心と体も回復してきて、やっぱり環境を変えて歩き出そう、前向きになろうって、思って、少しずつ自分なりのリハビリを進めている日々だ
だけど 自分なりの前進のつもりでやってきたその行動を、否定されたり、比較されたり、すると、
それだけで、たったそれだけのことで、「何もできないし分かってないし要領を得ない不器用な自分」という自分から自分へのレッテルが、めりめりと音を立てながら私を追いかけてきて、最悪の気分になってしまう。
あなたに向いていることは必ずあるんだ、
だから腐らずにやり続けてください、
と新人研修の時に話してくれた他部署の上司の言葉を思い出す
あの言葉通りに 休まず腐らず仕事を続けるべきだった
続けられなかった自分が良くなかった
そういう思考に支配されてしまってはもう何も前へ進めない。
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決めつけなんだか格言なんだか分からないSNSの言葉で、
「心を病む人は過去か未来に意識が向きすぎている。過去を不要に後悔し続けたり、未来の心配ばかりをするのではなく、今できることに目を向けよう」
というものがあった
本当にその通りだなと思うんだけれど
それを実践するには、「今」の自分を否定せずに、認めてくれる存在が必要だよね、と思う。
誰からの承認も肯定もないままで 自分の意志と芯だけで進める強さがあったのなら 私はこんなに病んでいない
何言いたいかわかんなくなっちゃった。
考えすぎるとどんどん深みにはまるから良くない。
昨日も今日も外に出れなかったから 明日は外出してちょっと勉強する
やったほうがいいことは山ほど周りに落ちているけれど、やれることから少しずつ、やってみたいな、できるかもって思えることから少しずつ、積み重ねていく
そうすることでしか生きていけないのだ
明日くらいは もう少し前向きに生きたい。