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今日の日記

ただいまの時刻は24:30

こんな時間に日記を書き始めるから
今日もたぶん夜更かしになってしまうだろう

明日の朝はきっと眠くてしょうがなくて
ホテルの朝ごはんを諦めてしまう気がする

去年の夏にはホテルの朝食を楽しみにしていた初々しい私がいたのに
出張3回目にしてホテルの朝ごはんをほとんど食べられず寝て過ごす私
この半年余りで随分と荒んだものである

今日はかるがも団地のアフタートークを見ながら(聴きながら)
お風呂に入って
だらだらと明日のチェックアウトの準備をした

なんだかホテルで配信を見ているこの感じがすごくデジャブで
前の出張のときも似たようなことしていたんだっけ、?
と不思議に思いながら荷造りをする

あんなに公演期間の短い作品なのに
かるがも団地の作品はなぜか
仕事の予定の合間にうまく入ってきてくれるから不思議
おかげでほとんど見逃したことがない。

ただいつも配信版のチケットも買うのはいいものの、
うまく集中できる環境が作れなくてちゃんと見れないから
歯痒い思いをしてしまうのが心残りだ

今回はネットカフェにでも行って一人で見てみようかな。
出張の帰りにでも 時間があったら行ってみることにしよう。

***

仕事の、職場の、人間関係で
毎日 とにかく悩んでばかりいる

今日の昼間は、
なんで今までは人間関係に苦しむことなかったのに
社会人になってからこんなに苦しんでいるんだろう、と思って
学生の頃を振り返って考えてみたけど

よくよく振り返って考えると
学生の頃から別に対してうまく人付き合いできていたわけじゃなくて
自分はちっとも人に対して心を開くのが上手じゃなかったな、と気づいて
自己嫌悪が増すばかりだった

あたたかい人たちの中でなんとなく幸せに過ごせていたのは
環境に恵まれていたからなのだったな、と気付く夜。

***

今の職場であまり人間関係がうまくいっていないのも
仕事においてあまり成長実感を持てていないのも
そうした色んなつまづきのせいで、
こうやってネガティヴな気持ちばかりが募ってしまっている今の状況も

ぜんぶぜんぶ、
「自分に悪いところがあるから」なのだという気がしてきてしまう。

それは本当に私に悪いところがあるのかもしれないけど
ひょっとしたら私が100%悪いわけでもなくて。

でも今のこのマイナスな状況を、
100%で自分以外のせいにしてしまうのは
ものすごく自己中心的な考え方のような気がして辛いから

だったらいっそ、
ぜんぶじぶんが悪いのだということにして、
じぶんが変わるか、直すか、逃げるかするのが
一番いい方法なんじゃないかって
そんなふうなことばかり考えてしまっている。

***

「自分の言い分」というものを通すこと、
相手に対して主張することが苦手だ。

これは別に昔からそういう性格だったわけじゃなくて
ここ数年でどんどん顕著になってきてしまった
私の悪いところなのだと思う。

いちばん自分の中の信念を信じて全力を出せていた時期、
高校生で部活の部長をやっていた頃の自分には
明確なビジョンと理想とモットーがあった。

いまでも<部長しての理想像>の条件はすらすらと思い出せる。
それはたとえばこんなようなものだ。

・自分から動かない、働かないリーダーのもとに人はついてこない。
 人の上に立つ立場になるなら誰よりもまずじぶんが働こう。

・チームをまとめる人間として、
 メンバーの誰か一人にだけ肩入れはできない。
 メンバー全員と平等な関係を築こう。

<部長>としての確かな理想像と
確固たる信念を持っていた17歳の私は
そうした想いがあるからこそ、
常に自分にできることを探して、見つけて
上を向いて全力で進むことができていた。

信念があるからこそ、それに反するものにはNOを言えたし
ダメだと思うものに対しては正当に怒りや主張を伝えることができた。

今の自分にはそれらがない。
ないから何をされても怒れないし
NOと言えない。

怒ってもいいはずのことをされた時でさえ、
怒るのは自分の身勝手に思えてしまって
ぜんぶじぶんが悪いような気がしてきて
とにかく 全部を飲み込んで受け入れてしまおうとする。

私には自分の言い分を主張するだけの
ポリシーや信念や 自分の守りたい大切な信条が、ないのだ。
ないというか、失ってしまった。

失ってしまったから、
自分のことを信じられなくなってしまった。

最近はそれが、何をするにもまず一番の
ネガティヴな原因になってしまっている気がしている。

どうして失ってしまったのか、
それを振り返り始めればキリがなくなってしまう気がするから
今日はもうここには書かない。

だけど確かに私はそれらを、
胸に抱いて、大切に持っていたはずの自分のポリシーや信念を、

18になって大学に入ったあの頃から、
じりじりと、5年もの歳月をかけて、
少しずつ喪って この身を削ってきてしまったのだ。

だからいまの私には信じられるものがない。

いまの私は、
いまの私のことを これっぽっちも信じられていないから

自分にどんなことならできるのか、
自分はどんなことなら頑張っていけるのか
自分はどんなことなら途中で折れてしまうことなく続けていけるのかが
ちっとも分からなくなってしまっている。

分からないまんま なんとなく毎日の仕事をこなしているだけの自分も
ひどく虚しくて 歯痒くて 悔しくて 惨めだ。

***

父にいまの自分のことを相談すると

「なんでそんなそんな自分が悪いなんて考え方をするんだ。〇〇に悪いところなんてひとっつもない。少なくとも俺は何があっても〇〇の味方をする。だから辛いんだったら仕事をやめていい。そうやって自分のことばかり責めるな。」

と決まって返してくれる。

この言葉を聞くたびに泣きそうになる。
というか泣いてしまう。

こんな人間にも、そんな風に言ってくれる味方がいるんだって思えるから。

だけど

そうやって味方をしてくれる人は、
私の立場からしか話を聞いていないから
そりゃあ私の側に立ってくれるのは当たり前なんじゃないか?

もし父も自分の職場に私のような人間がいたら
同じように疎ましく思うのかもしれない、
だから客観的にみたら自分はきっと直すべきところだらけだ なんて

どんどん どんどん 自分から自分を傷つけるようなことばっかり
考えて想像していってしまうから
私はちっとも切り替えられずに 前に進めずにいるのだろう。

***

書いても書いても止まらないだけの
鬱々とした感情ばかりが出てきてしまうからもう今日はこれまでにしよう。

写真は職場で撮った非常階段。

私はコンクリの壁と、誰もいない寒々とした無機質な空間が好きだ。
なぜかほっとするから。

この写真の非常階段も 辛くてどうしようもなかった時に
この空間の空気を、少しでも心に残しておきたいなと思って撮った。

私の心はずっとひとりになりたがっているのかもしれない。

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