第3回「どんどん君は、好きになる」

教室の入り口からにぎやかな声が聞こえる。
同世代の子たちがいる、学校という場所に通うのは久しぶりだし、250年前のこの世界の仕組みがよくわからない。
とりあえず変に目立たないこと。この世界のシステムをまずは理解していかないと、この場所にまぎれることはできない。
そして、次にエレナと塩野蓮、有原大樹のことを知ること。それが、ここしばらくやるべき、俺のミッション。
入ろうかどうかためらっているところに、ポン、と肩を叩かれた。
「秋元さん、おはよう」。
エレナだった。ちょうどいい。とにかく仲良くなることが大事だ。ラッキーなことに、その他大勢のクラスメイトから始めるよりも、認知されているだけありがたい。
「おはよう、エレ……八田さん」。
「エレナでいいよ、昨日はあの後、体調よくなった?」
「おかげさまで……えーっと、保健室に行って休んでいたら、体調もよくなって」。
とりあえず、愛想よく話かけてみる。
「昨日はいろいろと親切にしてくれてありがとう」。
「あら、あれぐらいは別に」。
そう言って、俺に向かって微笑んでくる。くやしいけれど、確かに美人だ。「あのまま、教室来なかったから席がわからないわよね。あいうえお順だから、秋元さんの席は前から2番目、窓際の列よ」。
そう言いながら、エレナは俺の肘に軽く手を当ててその場へと促し、案内してくれた。
すぐ隣の席に、塩野蓮が座っていた。
「あ、おはよう。昨日はどうも」。
塩野ともいい関係を築かなくちゃ、つくり笑顔でにっこり笑いかける。
塩野は俺をちらり、と見てから小さく頭を下げた。ほんの少しだけ、こちらを横目で見て笑いかけてくれたような気がする。
その様子を見て、エレナが「あら、知っていたの?」と聞く。
「あ、昨日あの後に保健室で一緒になって」。
鼻血を出していた、というのはイメージダウンになりそうだから言わなかった。とにかく蓮に対してエレナは好印象をキープしてもらいたい。
「塩野さんも保健室に用事があって来ていたんだけれど、帰りは、学校にも慣れていないから、門のところまで連れてってもらったの」。
「ふうん。そうなんだ」。
うん? なんか間があったぞ。この間はなんなんだ?
俺が生きていた時代には、感情を数値化することができて、表情を見ると少なくとも快、不快、喜び悲しみ、怒り、のうちのどれが一番を占めているかぐらいは通知されるようにできていたんだけれど、エレナはその整った顔立ちもあってか余計にわからない。
まぁ、後に塩野と婚約をするぐらいだから、そんなに悪い印象を抱くことはないだろう、と期待しておく。すでに塩野とエレナが知り合っているかどうかも聞きたかったが、塩野がしゃべりかけないでくれオーラを出しているものだから、仕方なく、そのままエレナと話を続ける。
「あの…私、まだこのせか……学校のシステムに慣れていなくて、変なことをしちゃうこともあると思うんだけれど、色々と教えてね」。
「慣れていない?」
「遠いところから来て、えーっと学校ってものに来るのも久しぶりなんで」。
「帰国子女なんだ?」
よくわからないけれど、納得してもらえたみたいだから、とりあえず頷いておく。「八田さんみたいに親切な人がクラスにいてよかった」。
やった、俺。塩野にアピールしつつ、エレナに取り入る作戦を決行。誉め言葉に気分があがったのか、それとももともと親切なのか
「私でよければいろいろ聞いて、案内するよ。小学校からここまで持ち上がりだから」
と、エレナ。
「そうなの? じゃあ知り合いはいっぱいいるんだ?」
「うん、家族みんな知っている、みたいな付き合いの子もいるよ」。
「ちょっと上の世代でも?」
有原のことを知っているか聞きたい。知り合いじゃなければ、なるべく関わらないように、学校生活を送りたい。
「上の世代って、あ、学年のこと? まぁ、何人か。お姉ちゃまの同級生とかもいるし」。
ふむふむ、エレナには姉がいるんだ。
「あの……」。
さすがに聞きにくいから、ちょっとだけ声を潜めてエレナに話かける。
「昨日、祝辞を読んだ人のこと、確か有原って人のこと知ってる?」
「えっ? ありは…!」
大きな声で言いそうになるから、慌ててエレナを引き寄せる。
「聞こえちゃう」。
「あ、ごめん。いきなり言われたたから、びっくりしちゃって。もちろん知ってるわよ」。
もう遅かったのか!! 二人は知り合い……と思ったときに「名前とかよく聞くから」と言うので、「ん?」と思う。
「アメフト部のスター選手だし、昨日だって祝辞を読んでたし」。
「知り合いとかではなく?」
「別に知り合いじゃないよ、でもなんで?」
知り合いじゃない! とりあえず、二人の接触を阻止しておけばいいんだ!
それだったらうまくいきそう。作戦決定、有原に八田エレナの存在を気づかせないこと。
「なんでもないの」。
「え、もしかしてかっこいいな、とか思ってる?」
「違うって」。
とりあえずおどけるように手を振ってごまかした。
その時、俺は気づかなかった。隣の席の塩野蓮がその会話を聞いていたことに。エレナのことを見ていたことにも。

ランチルーム、と言われるところに俺はいる。八田エレナはお弁当というものを家から持ってきているらしいが、俺が何にも持ってきていなかったからつきあってくれるらしい。どうやらこの世界では昼飯を食べること=友人の証とされているようだ。おまけにエレナの幼なじみ、という存在も何人かが連れ立って後ろからゾロゾロついてきてくる。
学年を越えて一同に生徒たちが集まっている様子は壮観だ。
とりあえず、あたりを見渡し、有原大樹がいないことを確認しておく。
「私たち席をとっておくから」とエレナたちが言ってテーブルの方に向かう。
とりあえず有原はいないので、大丈夫そう、と思って、カウンターで食べ物を選ぶ。まわりを見ていると、カレー、なるものを買う人が多いから、俺もそれを注文する。なかなかうまそうだ。
「秋元さん、こっち。席とっておいたよ」。
窓際のテーブルのところで、エレナが俺の姿を見て手をふる。呼ばれるがままに、テーブルに向かって、カレーを乗せたトレイを持ってあるいていく。
足を出した瞬間、すぐ目の前の椅子を引いた男子生徒がいて、俺はの足にひっかかってしまった。たたらを踏むようにしてつんのめり、ぐらり、と体が揺れる。
と、手元のトレイが宙に舞い、カレーを乗せた皿が滑り落ちて、バシャン、と音を立てて……エレナの頭にすべり落ちた。カラン、と音を立てて、皿が床に転がる。
ぽたり、ぽたり、とエレナの頬にカレーが垂れた。
「ごめんなさい!」。
やばいやばい、なんてことをしたんだ俺。せっかくエレナとも仲良くなれたと思ったのに。目の前のエレナもさすがに顔色が青ざめている。
「ちょっと、君、だいじょうぶ⁉」
涼やかな声がして、サッとハンカチが差し出された。
ハンカチを差し出しているのは、有原大樹。先ほどは、ここにいない、と思っていたのに。背を向けていたから気づかなかったらしく、エレナたちがキープしていた食堂のテーブルの、よりによって向かい側に座っていたようだ。
「とりあえず、これで拭いてて。そこで、タオルもらってくるから」。
そう言いながら、エレナの頬についたカレーを軽くぬぐって、小走りにかけていく。エレナは渡されたハンカチを持ったまま立ち尽くしていた。
有原は、すぐに乾いたタオルを手に戻ってくる。
「大丈夫だよ、すぐに落ちるから」。
有原は、エレナの肩にかかったカレーを拭こうとして、さすがに体に触れるのをためらって、タオルを渡す。ぎこちなく気を遣いながらも「拭けばそんなに目立たないよ。ちょっとカレーの匂いがついちゃうかもしれないけれど……」と、エレナを励ますように話かけている。
エレナを見ると、青ざめた顔のまま、タオルを手に、有原の顔をぼんやりと見ていた。
その目は、俺の父と母がお互いを、そして俺を見つめるようなまなざしに似ていた。
熱を帯びたような、すがるような目。
これは、もしかするとエレナは……
まずい!
今度は俺が青ざめる晩だった。
俺が出会わせてしまったのだ、二人を。
接触をさせない、と思っていたはずなのに、俺こそがその二人がお互いを認識するきっかけを作ってしまった。
そのとき、俺は気づいた。その少し離れたテーブルににいた塩野蓮も、ハンカチを持って立ち尽くしていたことを!
おい、嘘だろ。俺は、塩野とエレナが仲良くなるきっかけを損ねてしまった。うまくすると、今ごろ塩野がエレナにハンカチを差し出していたかもしれないのに。
どうなるんだよ、この3人は!!
出会わせたくなかった二人が会ってしまって、仲良くなって欲しいはずの二人の接触機会がなくなって、このままじゃ運命を、世界を、何もかも変えられなくなってしまう。
どうすればいいんだ、この先、俺は!






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