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自分を幸せにしよう

先週水曜日から体調を崩し日曜の朝まではぐったりしていた。今週月曜日は祝日で仕事が休みだったから、4日仕事して明日はまた週末だからすごく助かる。なんだかんだ体調は回復し、ここ2日くらい気温がだいぶ下がって午後のうだるような暑さから気持ちよいくらいの涼しさになってきたのもあって久しぶりに仕事帰りの公園でジョギング。まだ少し頭がボーっとするけど、呼吸にだけ集中してゆっくりめに走る。やっぱり体を動かすのは気持ちが良い。
走っている間に浮かんでくる思考に耳を傾けてみたり、アイディアが浮かんできたり、今まで気が付かなかったことにふと気が付いてみたり、頭やこころの整理ができて気持ちが落ち着くということがよくある。久しぶりに走って、そんな時間が持てたから今日走りながら考えていたことを書いておこうと思った。

テーマは「自分の幸せ」といったところか。

結婚してから、というか子供の親になってからの私の人生はいつも「幸せじゃない」という思いに塗りたぐられていた。率直に言うと夫への不満でいっぱいだったのだ。子供が赤ちゃんのころ、幼児だったころ、それから数年前といろいろな時期の写真を目にするたびに、このころの旦那が酷かったとか、あーこのときもやるせない思いでいっぱいだったなとか、ほんとにこのときも不満でいっぱいだったんだよね、とか写真の中に写る当時の自分がどのような想いを抱えていたのかわりとはっきりと思い出せる。情けないが過去の写真を見返して、「ああ、このときの幸せな気持ち!」とか思ったことがない。

結婚生活はむずかしい。私にとっては人生最大の苦悩。
結婚生活さえ晴れ晴れしい気持ちで送ることができていたら、そのほか私の人生、苦難なんてあるのかしら?というくらいに。子育ては本当に大変だし、上の子に関しては追い詰められて自分が潰れてしまいそうになることもしばしばあった。でもそれは納得がいくというか自分の生んだ子供がきちんと自分の力で実りある人生を歩んで行けるようにサポートしたい気持ちはどこまで行っても変わらない。
でも結婚には「離れる」という選択肢もあって、それを選択するのかしないのか、「とどまる」という決意をしてその中で自分のなかで折り合いをつけなければならないこと、我慢したくないなら改革すべく戦うべきところは戦い、折れるところでは折れてということになるが、その線引きの加減も正解がなくて難しい。自分はうまくやれていると思えたためしがない。結局は自分以外の人間を思い通りに動かすことができない、それが苦悩の元凶なんだと思う。それと自分以外の人間と向き合うには理解されるための努力も相手を理解するための努力も怠ってはならない。それがときにとてもしんどい。

ただ、今まで自分が抱えてきた夫への不平不満を突き詰めてみると結局こういうことだったのだと思う。一緒に生活している夫が常にストレスまみれで幸せそうにしていることがまずない。それを見ている私もとても気分が悪い。そういう夫のそばで暮らしていると気持ちが滅入る。ストレスのはけ口にされるばかりで楽しくない。といったところだろうか。
ただ、このような気持ちを一言に言い換えてみたらこんな発言になってしまった。
「私はあなたが幸せじゃないので、幸せになれないのです。」

はい?私はあなたが幸せじゃないと幸せになれないんですか?私が幸せになれないのはあなたのせいなんでしょうか?私はあなたが幸せにしてくれないと幸せになれないんですか?

「違います。」

私が幸せじゃないのはあなたのせいではありませんでした。私が幸せじゃないのは私のせいでした。あなたが幸せじゃないことと私が幸せじゃないことは関係ありませんでした。もしあなたが隣で幸せそうに笑っていたら、それはそれで私も幸せな気持ちになることでしょう。でもそれと私の幸せはまた別の話と言うことです。あなたが私の隣で幸せそうに笑っていても、私は私で私の幸せを自分で探さなければならないことは変わりません。
もしあなたが私のとなりで不幸そうにしていても、私が私の幸せを自分で探さなければいけないことは変わりません。何故なら私の幸せは私にしかわからないからです。

そうだとしたら、こうとも言えるでしょう。
あなたが幸せじゃないのは私のせいではありません。あなたが幸せじゃないとしたらそれはあなたのせいです。私はあなたの隣でいつも幸せそうにニコニコしているタイプじゃありませんけど、それとあなたが幸せかどうかということは別の話と言うことです。私があなたの隣で幸せそうにニコニコ笑っていたとしても、ふてくされてしかめっ面をしていたとしても、あなたはあなたであなたの幸せを自分で探さなければならないことは変わりません。何故ならあなたの幸せはあなたにしかわからないからです。

だからこうです。
私はあなたが幸せじゃないとしても幸せになれます。幸せは場所ではないので一旦辿り着いたらいつまでも末永く幸せに過ごせるということではありません。幸せと言うのは移ろい変化し続ける気持ちの状態のことです。だからあー、幸せ!という刹那をギュッと抱きしめて味わったら手放しましょう。しがみつこうと思ってもするりと過行くことでしょう。また新しい幸せの瞬間がきたらギュッと抱きしめて味わったらいい。今の私の生活が全体として幸せなのかどうか、それは誰にもわからないことです。人はあなたの生活を羨むかもしれないけど、人が羨むからあなたが幸せかどうかはわかりません。人はあなたの生活を憂うかもしれないけど、人が憂うからあなたが不幸かどうかもわかりません。あなたの幸せはあなたにしかわからない。

私はいつだって幸せになって良かったんだ。夫がああ、夫がこうとそれを理由に自分が幸せになる許可を出していなかった。夫が幸せだろうが幸せじゃなかろうが、私は私にとっての幸せを追いかければいい。そして、幸せだと思える小さな瞬間、小さなこと、それを見逃さずにギュッと抱きしめて消えてしまう前に味わおう。私はいつだって幸せになってよかったんだ。夫がもっと健康にならないととか夫が過去のトラウマを乗り越えないととか夫が幸せそうにしていないととか、そんなことは私自身の幸せにとって全く関係なかったんだ。私は今ここで幸せになって良いんだ。今日も明日も幸せだなって思えるときに幸せを味わったら良い。どんなとき幸せって感じる?何があると嬉しい?

マウンテンバイク、友達とおしゃべり、ハイキング、山登り、日本への一時帰国、おいしいご飯、旅行の計画、考えるとウキウキすることや好きなものにエネルギーを注いで、自分の幸せを手繰り寄せよう。私はいつだって幸せになってよかったんだ。

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