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自分を信じる自分になろう

私がアメリカに来たのは幸せになるためだった。
最近までずっとそんなことを忘れていた。
本当に長い長い間忘れていた。

それを思い出したのは夫との関係改善のために月2回くらいのペースで通っているカウンセリングがきっかけだった。カウンセリングで私は常日頃から私は夫に疎まれているように感じるというようなことを言った。

カウンセラー「実際に○○さん(夫)からそう言われたことはあるんですか?」
「うーん、ないと思います。」
カウンセラー「じゃあそれはどういうときに感じるの?」
「私が話しかけたときに彼が目をぐるりと回したりため息をついたり呆れるようなしぐさを見せるときとか。それと私が話しかけるとまるで私が彼を攻撃しに来たみたいに警戒しているような険しい目つきや顔つきなったり、不快感が見えるときかな。」
カウンセラー(夫に向かって)「○○さんはモコさんのことをうっとうしいとか不愉快に思っているんですか?」
「そんなことはないんですけど、話しの内容によって集中しないと理解できなかったり、すぐに回答できないようなことだと頭がすぐ回らなくなって・・・そういうとき表情が硬くなったり、まわりから態度がよくないみたいに注意されることもあって、自分で気が付くときもあるんですけど」
カウンセラー「モコさん、どうも日ごろから自分が人から疎まれてるとか面倒くさいと思われていると感じることが多いみたいですけど、誰からもそう言われたことはないんですよね?それなのにそういう気持ちになるのはどうしてなんでしょう?何か思い当る節ありますか?」

しばらく考えてから自分の口からこんな言葉が出てきた。
「26歳のときに日本から勉強のためにアメリカへ来たんですけど、やっぱり第2言語の英語に自分で自信が持てなくて、どんなに頑張っても自分が足りない気がしていて、どこへ行っても他の人より自分が劣っているように感じてしまうんです。」
「一生懸命勉強もしたし、努力もしてきたし、そんなこと仕方ないって頭では理解してるんですけど。でもどこへいっても劣等感があって周りの人と自分が対等であるように感じられなくて・・・。それでどの集まりに行っても疎外されてるっていうか、自分がそこに属してない部外者みたいな感覚があります。」
アメリカへ来てそんなことを話したことは一度もなかった。涙がいっぱい出てきた。20年もアメリカで暮らしてきたのに今さらこんなことを言い涙している自分に自分でも驚いた。

夫が私をうっとおしいと言ったり、不愉快だと言ったことは確かになくて、
でも私が日ごろから夫の些細なしぐさや目つき顔つきを見ては、私は面倒くさがられて疎まれているんだと憶測で判断したり、どこかでリスペクトされてないと感じてきたのは、そもそも自分に自尊心が欠落していたのが原因なのかもしれない。
英語が完璧に話せないなんて20年前から仕方ないとわかっていたはずなのに。そんなこと気にしてたら切りがないと、ずっと気持ちを強く持ってやって来たと自分では思っていたのに。劣等感は仕方ないこととそれなりに気持ちの折り合いをつけてやってきたはずだったのに。けれど分かりきっていたから私は自分の悲しい気持ちと真に向かい合わなかったのかもしれない。

当たり前になりすぎて空気のように気が付かなくなっていたが、私のこころの中には壊れたレコードがずっと繰り返し同じメロディーを奏でるように渡米当初からの昔の記憶が劣等感、疎外感という感情になって流れていた。流れ続けていた。
留学生として学校へ通っていたころ、クラスでグループごとに活動することが多々あった。クラス内で近くの人と2、3人のグループになって、という機会があるたびに私のような留学生(とくにアジア人)は周りに避けられて余る(気がする)。
社会に出てからもどのような集まりに行っても大抵の人は自分と同じような人と群れたがる。だから一般的に大体の人は私のようなマイノリティーは避けて他の似たような人と話したり群れたりするから自分は取り残される(気がする)。
英語のたどたどしいヨーロッパ人はアクセントも何故か「セクシー」だと受け入れられるが、英語のたどたどしいアジア人は見下される(気がする)。このような気持ちを抱えていることが空気のように日常になってしまっていたのだ。

家に帰る車の中で夫は私を気遣ってくれた。助手席の私の膝に手を置いて寄り添ってくれた。家に帰って来て、私は自分がたくさん悲しい気持ちを味わったことに初めて向かい合った。そうだ、そうだ、そうだよね。英語が話せるようになりたくていっぱい夢見て頑張って努力して日本からやってきたから、負けちゃいけないと頑張ってきたんだけど、悲しいものは悲しい。そんなとき思いっきり自分の気持ちと向き合って、悲しい、悔しいって泣いたりすればよかったのかもね。でもずっとそれじゃいけないって頑張ってきちゃったから気持ちが置き去りになったままだったね。
大丈夫、もう大丈夫だよ。悲しい思いをしたのは過去。今じゃない。だからもう大丈夫だよ。

それから数日間、自分が抱えてきたこころの傷とそれが今までの夫婦関係や自分の周りの人や世界との関わり方に与えてきた影響について考えていた。
まわりがどうこうではなく、自分を一番苦しめてきたのは自分だった。こんな自分ではいけない、足りないと自分を許さなかったのは自分だった。

私がアメリカに来たのは幸せになるためだった。アメリカに来る前の私は自分を信じていた。自分の意見をしっかりいう人間だった。職場で生意気だと思われても自分が正しいと思ったことは言った。言わなければ始まらない、言わなければわからない、言うだけ言ってみることは悪いことではない。そう信じていた。私は強かった。生意気だが芯があると言われた。退職前に職場の仲間たちからのメッセージを集めて書いてもらったノートにそう書いてあった。私には自信があった。

それと、私は英語だと日本語よりストレートにものが言えるような気がしてそれが好きだった。日本語にするとこそばゆくなるような「I love you」とか英語だと気負わずにさらりと言えてしまいそうなところとか。
アメリカに来る前の自分がどういう人間だったか、思い出した。それが渡米後のいろいろな経験を経ていつのまにか自分に自信の持てない、人が自分をリスペクトしてくれてないと過敏になっている自尊心の低い人間になってしまっていた。そうなったのはもちろんいろいろな経験があってのことだけれど、こうやって今、私はやっと前に進む準備ができた。過去のこころの傷と向き合い、今これからどういう人間としてやっていきたいか考える。自信なんて急に湧いてこないけど、自尊心はしっかり持つ。言葉が自由に操れなくてもそれは私の人間としての価値を損なわない。そう信じる。そして思ったことは言う。私は自分を信じる。


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