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今日の覚書 紅葉を愛で夫婦について思う
今朝いつものように近所の公園へジョギングに出かけた。走っているときに公園の池の周りやランニングコースの周りにうっすら色づいた木々の紅葉が目に入り、見慣れた景色よりも視界にたくさんの色が飛び込んできてしばらくその方向に首を固定しながら走りつづける。
眩しくなるような黄色とか燃えさかるような赤とかそういうドラマチックで派手な色はない。でも普段より視界に飛び込んでくる色の種類が何倍も多く走りながら見入ってしまった。
淡い赤茶のような色だったり、うっすら黄色だったり、池の水の色、緑の葉、茶色や黒のように焦げた色合いの葉もあり自然が見せてくれる色の豊富さに惹きつけられる。
力強い派手な色ではないのにやんわりとした紅葉の色が美しくみえるのは、私がこの公園で見慣れている景色と姿が違うからだろう。それと、周りの紅葉していない木々の緑色がコントラストとなっているからだと思う。普段見慣れていて記憶に刻まれている緑のランニングコースのイメージとのギャップ。それとまわりの紅葉していない葉とのコントラストがあるから派手な色ではないのに紅葉の色が際立ち、目を引くのだろう。よく光を見るためには暗闇が必要だとか言うけれど、それと同じように。
違う色が存在することでそれぞれの美しさや特徴が際立つ。全部の色が同じなのではなく、緑の葉がまわりにあるから紅葉がいっそう美しく見えるのだ。逆に紅葉があるから緑の色もきれいに見えるのだ。違いがあることで、お互いを引き立てている。
そうだとしたら、私と夫が全然ちがう人間だということも悪いことではないのかもしれない。私と夫はまったく違う人間だけれど、もしかしたら違うからいいのかもしれない。お互いが全然違う人間ということがお互いの特徴や美しいところを際立たせているのかもしれない。夫には夫の特性や美しさがあり、私には私の特性や美しさがあり、二人が違うからこそそれが際立ちより引き立つのかもしれない。そう思ったら夫が自分と全く違う人間であることに対して、普段は自動的にフラストレーションに感じているけど、ほんの少し優しい気持ちになれる気がした。
私と夫が全然違う人間なのは悪いことではないのかも。夫が自分と違うことで私は私がどういう人間なのかを知ることができるのかもしれない。夫と私が違う色を添えていることが私たち家族という一枚の絵をより豊かに深さや広がりのある絵にしているのかもしれない。コントラストの中で自分の色をより鮮明に認識すること。自分の色を大切にしながら夫や子供たちそれぞれの色も愛でることができたら幸せな気持ちになれる気がする。