バックパッキングの夢ふくらむ
バックパッキングというとリュック1つ背負って格安で海外を渡り歩くみたいな旅行のことを思い浮かべる人もいると思うが、私が夢見るのはリュック1つにテントや寝袋を詰めてハイキング+キャンプする旅のバックパッキングだ。数年前にシェリル・ストレイドの「Wild」という本を読んだのがきっかけだ。日本語版は「わたしに会うまでの1600キロ」というタイトル。
著者が22歳の時、最愛の母親を45歳の若さで亡くす。6歳の時に酒飲みで暴力を振るう父親から逃れるため母が離婚。その後ミネソタ州の田舎町に移り住み、ステップファザーと共に、電気も水も通っていない敷地に手作りの家を少しずつ建築しながら暮らし、姉、弟と力を合わせ懸命に生きてきた。貧しいながらも母親の口癖はこうだった。「私たちはお金はないけど心はとっても豊かよ。」そんな母親からめいいっぱいの愛情を受けて育った。「私があなたのことどれくらい愛してると思う?」と両手をだんだん大きく広げては「これくらい?ううん、もっとこれくらい?」と両手がいっぱい広がっても「まだまだいっぱいよ!」というゲームを何度も何度もした。
そんな母親が亡くなるとの著者の家族を繋ぎとめようとする努力も空しく家族はあっという間にバラバラになり、自身の結婚生活も破綻した。失うものは全て失い、薬物にも手を出した彼女だったが、ふとしたきっかけでアウトドア用品店でパシフィッククレストトレイルのパンフレットを手にしたことから突拍子もない行動に出る。アメリカ西海岸のメキシコ国境からカナダ国境まで伸びるパシフィッククレストトレイル(通称PCT)をモハビ砂漠からカリフォルニア州を抜けてオレゴン州まで1100マイル(1600キロ)を一人でハイクしようというものだった。
泊りでハイキングの経験など皆無だった彼女が母の死によって壊れてしまった心を、本当の自分を取り戻すために出た旅。自然の中で失った母、バラバラになった家族、愛しているのに破綻してしまった結婚などに想いを馳せ、悲しみに暮れて泣き明かすのかと思っていた著者だったが、現実はまるで違った。体が真っすぐに立てられないほど重たい荷物を背負い、毎日朝から晩まで歩き続け、クタクタになり気が付くと眠りに落ちている。数日に一度食料などの補充とシャワーなどを求めてトレイルから近い街に降りてきてはまたトレイルへ戻るという生活を続ける中、トレイルエンジェルと呼ばれるPCTハイカーをボランティアで支援してくれる人々や他のハイカーたちとの出会い、それからセクションごとに変化する美しく厳しい自然の中で過ごすうちに、「こころに大きな穴があいた女」と自身を表現した著者の心は癒されていき、ついに目指してきたオレゴン州のコロンビア川渓谷にかかる「神々の橋」と呼ばれる目的地に到達する。
著者のシェリル・ストレイドさんは現在オレゴン州ポートランド在住ということもあり、住んでみたい都市でいつも人気ランキングにあがっているポートランドは私の中でいつか訪れてみたい場所の一つになっていた。今年の夏休み、アメリカ国内で旅行先を検討していたとき、たまたま夫のポートランドへの出張が7月にあり、それに合わせてスケジュールを組めれば夫の航空券と最初の2泊のホテル代が会社の経費で負担してもらえるというので念願のポートランドに行けることになった。初めての街。どんなところなのか私はこの旅行をとても楽しみにしていた。
旅行の1日目と2日目は夫は仕事だったため、子供たちと私だけで有名なブードゥードーナツや1914年建設のピトック邸、世界最大の書店といわれるパウエルズブックスなどを見物。3日目はポートランドの自然を満喫してみたいと、オレゴン州で高低差1番として有名なマルトノマ滝を見に行くツアーに夫と参加した。
参加者7名のツアーで小さなワゴン車に乗り込み、30代後半から40代くらいの男性ツアーガイド、スコットランドさんの運転でポートランドから東へ40分ほど車を走らせる。すると彼が道中にパシフィッククレストトレイルの紹介をするとともに、「メキシコ国境からカナダ国境まで2650マイル(4200キロ)のトレイルを1シーズンでハイクするスルーハイクを私も2003年に達成しました」という。まさか!こんなところで憧れのPCTスルーハイカーに遭遇できるだなんて思わなかった!それだけでポートランドに来てよかったと思うくらい興奮してしまった。
有名なマルトノマ滝を皮切りに車で移動しながら4つの滝を見て回った。テキサス州の私の住んでいる地域は果てしなく広がる平野に位置しており、坂道がない。どこまでいってもまっ平な景色が広がっている。なので
遠くに見える山の天辺に雪が積もっている景色や、背の高い樹々や地面を覆いつくす緑色の苔の色がとても鮮やかですっかり感動してしまった。滝の近くで冷たい水のしぶきを顔や体全身に感じると文字通り心が洗われるような感覚があった。
滝の見学中スコットランドさんは夫と雑談していたが、隙を見て私もPCTスルーハイクの話が聞いてみたくて思い切って聞いてみた。
私「PCTのスルーハイクは一人で行ったんですか?」
スコット「周りのコミュニティーや道すがらに会った友達と一緒になったり別々になったり、一人ではなかったよ。でも、誰か特定の人と一緒に行ったわけじゃないから一人で行ったということになるかな。」
おおー、一人で行ったのに道中関わってくれたコミュニティーや出会った人に囲まれて経験したことだから一人ではなかったと。さすが、スルーハイカー、答え方が素敵!
私「私、バックパッキングしたことはないけど、Cheryl StrayedのWildって本を読んで、それからPCTをバックパッキングしてみたいって興味を持ったんです。」
スコット「おお、その本の中のGregって登場人物覚えてる?」
私「うーん、ちょっと読み返してみないと思いつかない…」
スコット「主人公のメンターになって色々アドバイスしてくれたりするんだけど、主人公は一時、色目を使って落としてやろうなんて考えてみたりするんだ」
私「あー、わかった!バックパックの詰め方とか指南してくれるあのひと!」
スコット「そうそう。そのGregは僕の友達なんだよ。」
私「えええええ?!」
スコット「僕はGregとパーティーしたんだよ。」
なんとなんと、もうびっくり!
憧れのPCTスルーハイカーに実際に遭遇したと思ったら、なんとあの本の登場人物と知り合いだなんて。本の世界が自分の現実世界とつながってるというなんとも不思議!
私「すごい時間をかけて計画していったんですか?食料とかサプライとか通過地点の町の郵便局に予め送って置いたり、準備大変でしょう?」
スコット「いや、僕はそういうことは一切しなかったよ。だって、荷物を受け取りに郵便局へ行かなきゃいけないくらいなら、スーパーで買い物できるだろう?」
私「なるほど。で、GPSとか地図とかはどうしてたの?」
スコット「当時(2003年)GPSを持っている人も少しいたけど、僕は地図すらも持って行かなかった。」
私「ええ?!」
スコット「僕はそんな感じで、自分の判断にすべて誇りを持てるわけじゃあないんだけどさ」
お兄さん、それはちょっと無謀すぎるんじゃない?
スコット「PCTのスルーハイカーはトレイルネームってのを名乗るんだけど」
私「うんうん、知ってる」
スコット「僕のトレイルネームは”So Far”って名前だったんだけどね。仲間たちからは”Not Dead So Far"って言われたりしてたものさ」
(So farは「すごく遠く」という意味もあるけど、「今のところ」という意味でも使われる。Not dead so farというと「今のところまだ死んでない」みたいな意味だ。)そう言ってスコットはワハハと笑った。私も驚き半分で笑った。
今回の旅行、ポートランドの夏の気候の気持ちよさとフルーツ、ベーカリーやピザ、食べ物がすべて美味しく、夏の避暑地として最高の街だと思った。だがなんといってもこの旅行のハイライトは憧れのPCTスルーハイカーに直接話をきけたことだ。興味をもつきっかけになった本と自分の住む世界が地続きにつながっていることに気持ちが一気に盛り上がった!忘れかけていたバックパッキングの夢が一気に再燃!
帰って来てから、以前は図書館で借りて呼んだ「Wild」をもう一度読み返したくてすぐにKindleで購入。それからPCTソロスルーハイクを経験した女性YouTuberのビデオをむさぼるように見て、どんな道具が必要で初心者が知っておいた方が良いことなどの情報を集めている。それが楽しくて楽しくて仕方ない。まだ実際に一人でキャンプに行ったことすらないのに(笑)。
数年前にソロバックパッキングをイメージして一人用テントや寝袋、寝袋マットなどいくつか道具は買ってみたが、実際ソロキャンプの計画を立てるまでには至らなかった。しかし、今回この勢いで最低限の道具を揃えてまずは一人キャンプに出掛ける計画を立てることにした。はじめは行ったことのあるキャンプ場で、車を停められるキャンプサイトで練習することにする。車が停められるのでなんでも必要なものを積み込めば快適にキャンプできるところだけど、バックパッキングの練習だからバックパッキングするイメージですべてをリュックに詰めてみる。そしてそれを背負ってハイキングしてみるつもり。ライトもランタンなどは持ち込まず、軽量のヘッドライトだけ持参する。今はまだ暑すぎるので予約を入れたのは10月の終わりだけど、それでもすごくすごく楽しみ!それまでにバックパッキング用の料理ストーブも買おう。
2泊くらいのキャンプで自信がついたら、車では乗り入れられないキャンプサイトで1泊から2泊へとステップアップしていこう。そして、いつかPCTのどこか1セクションを選んで3,4泊でバックパッキングできるようになってみたい。まだまだ先だけどそんな想像がどんどん広がる。
旅行から帰って来て1週間ずっとこんな感じで毎日バックパッキングの想像するのがやめられない。自分でも不思議だ。とにかく、こうやって毎日やりたいことを夢見て過ごせていることがとても幸せだ。実際やってみたら、またどう思うかはわからないけど、とにかく秋のキャンプが楽しみ。