圧力と体積

ある程度圧縮することで、その時間が濃厚なものとなったりする。
日常における「やらなければならないこと」というものは
私にとっては時間を濃厚にするための必要悪だったのかもしれない。

そんなことを思うのは自分が産休に入ったばかりで、
9ヶ月のお腹を抱えつつもお腹の赤ちゃんが泣くわけでもなく
とりあえず掃除と洗濯と料理だけをやっていれば問題がない状況にあるから。

生協のカタログを見ていたら2時間が経っていて慄然とした。
私はたくさんの時間を無駄にしているのではないか。

「自由な時間があったら、本をたくさん読んで
英語の勉強もやって、創作も色々やって…。」

かつての自分だったらそう考えていたのではないか。
今は面白いほど、英語へのやる気が出ない。
必要ないと脳が見なしている感じ。

読書は、Kindleの無料本をぱらぱらめくる感じ。
本当は大きな図書館に行って本を借りたかったのだけど
往復時間と体力を考えるとそうもいかない。

創作は…、やっとnoteとブログを更新できるようになってきた程度。
昔みたいな奔流はまだ来ていない。

ひょっとすると、時間をその時間のまま、濃縮還元もせずに
味わうことを今現在の発達課題として与えられているのかもしれない。
何かを生まなければならない、何か生産的な活動をしなければならないという
呪いから離れるための準備期間なのかもしれない。

そう考えることにしつつも、やはり、まだ自分が怖い。
成長できない自分、成長することに意義を見出せなくなっていく自分がいることが怖い。
「子育てはあっという間だから、自分も大事にしなね」
よく聞く言葉。じゃあ、私を大事にするってどういうこと?

そんなことはきっと、赤ちゃんが生まれたら考えられなくなること。
今はほんの少し、自分に生産性を課さない努力をしたいと思う。


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