死にたい理由はないはずなのに、時折死にたいという思いで心が重くなることがある。
実際に死ぬわけじゃないし、死にたいわけではないはずだ。
それなのに「死にたい」という言葉が浮かび上がる。
いくら沈めても浮上してくるそれは、いつの間にか私の当たり前になっていて。
ただ単に「つらい」だけなのだろう。
ただそのつらさを処理しきれなくて「死にたい」という言葉に変換されてしまうのだろう。
この「つらさ」を素因数分解するか、もっと相応しい言葉をこの感覚に与えないと
ずっと「死にたい」という言葉で置換されたままになってしまう。
来月生まれてくる子供に真似されたら困る。というか、それこそつらい。
理由は多分生理的なものもあるのだろう。
妊娠後期のホルモンバランスの乱れ。
睡眠不足。
日々変わっていく体調と体形。
進んでいない英語の勉強。
最近夫以外と顔を合わせていない。
閉ざされた環境。
誰かと会いたい、話したい。きっとそんな気持ちがある。
リモートお茶でもすれば気は晴れるのだろうか。
自分を生かすためには、自分に理由を与えてやる必要がたまにあって
それが今、一時的に見えなくなっていることもあるのだろう。
きっと子供が生まれたら、そんなこと言っている場合じゃなくなるだろうから。
とりあえず余裕があるうちに、noteで自分の心を記録しておく。