苛立ちとチョコレート #エッセイ
全てがどうでもいいように思える。
椎名林檎の歌詞のような気持ちになることもある。
何が原因なのか。そんなことはどうでもよくて、少しずつ積み重なっていった心の重石が、心全体をひっくり返してしまった。苛立ちのような底知れぬ悲しみのような、そんな気持ちになる。
チョコレートをひとつ買えば治るのだろうか。そんなことあるはずもないと知りつつ、帰り道に葉物野菜を買うついでにチョコレートをかごの中に入れてしまった。
そんなことで罪悪感を抱く必要はないのかもしれないけれど、どこかそれが自分の敗北にような気がして気が滅入った。
チョコレートを食べることは負けなのだろうか。苛立ちをチョコレートで紛らわすことは駄目なのだろうか。外から見たらどうでもよいような言葉が頭の中で巡り、帰るなり部屋に座り込んでチョコレートを一口放りこむ。予想していたとおりの甘さと歯ざわりが私の口に広がり、少しの間を置いて落ちていくだけ。私を満たすことなく、通り過ぎるだけ。そのことが一層私の苛立ちを掻き立て、二つ目のチョコレートを口にする。結果は同じことだ。二つ目だから甘さはより気怠く、私の焦燥を無視して滑り落ちていく。
知っているのだ。分かっているのだ。チョコレートが苛立ちを直接的に解いてくれないことも、その役割はチョコレートのものではないことも。それでも頼りたくなる、そんな瞬間がどうしてもあるんだ。
執着を切り捨てるように残りのチョコレートを冷蔵庫に入れる。自分の苛立ちは、自分で解いていくしかないのだ。苛立っているのは自分。私が勝手に苛立ってしまうような他者は、心の中に存在させたくない。さようなら誰かさん。私はあなたに苛立たせられる程度の人間なんかじゃない。
冷蔵庫には残りのチョコレートが眠っている。この一欠片を食べて幸せな気持ちになれるときが、このチョコレートの食べ頃なのだろう。冷たく冷やされたそれが、柔らかくほどける時間を、私はいつでも待ち望んでいる。