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祈りの答え
こんにちは。
カウンセラーのmocoです。
心のこと、祈ること、導かれて生きることをお伝えしています。
前の記事では、20年前、私がキリスト教の教会に行くようになり、神に祈って、不思議な穏やかさを感じたときのことを書きました。
あとから知りましたが、私が行ったのは、なかなかレアな教会だったようです。
聖霊派といって、なんというかスピリチュアルというか、実践型の教会でした。
聖霊というのは、内在する神、人の内に住む神のことです。
その教会は聖霊への熱い信仰を持っていて、からだの癒しを信じていたり、日々の導きを具体的に聖霊に求めたり、とにかくよく祈る人たちでした。
そのやり方を教わり、私も始めました。「聖書を通して神は語る」とのこと。私もよく聖書を読むようになりました。
で、たまになんですが、文字がバーン、と目に飛び込んでくることがあるんですね。まるで、そこだけ字が濃く見えたり。
あるときは、こういう旧約聖書の一節でした。
もし、わたしのとりでにたよりたければ、
わたしと和を結ぶがよい。
和をわたしと結ぶがよい。
イザヤ書 27章5節
イザヤという預言者の書です。
その言葉を読んだとき、なぜだかわからないけれど、そのときの私の心に、ずん、と入ってきました。頭で受け取ったのではなく、私の心の深いところが呼応しました。
ああ、これは神からだ、とわかりました。わたしを信頼して、わたしを頼りなさい、ということだ、と。
その前の何年か、私は肌の病気を患っていて、病院だけでなく、代替療法や、たくさんの解決方法を試みていました。
どれほど努力しても、どうにもならないことがある。この世界に、うんざりしていました。
確実なものがほしい、と思っていました。信じられるもの、もっと確かな、頼りになるもの。まだ20代でしたが、私は既にそういう状態だっていたんですね。
あの聖書の言葉は、その答えだったのでしょう。
誤解がないようにと思うのですが、私が「神」という言葉を使うとき、キリスト教の神よりも広い意味で言っています。私、5年ほどで教会は離れます。
神っていうのは、名前のない、すべてを作り出した源のことです。
それは世界のどこにでもいて、そして自分の内にも、います。
誰であれ、それに向かって本気で問いかけたなら、何かしらの返事が来る。私は自分の経験から、そう信じています。
さっきのイザヤ書は抽象的な返事でしたが、具体的な返事、導きもよくあります。
私はそれからずっとあと、2019年に結婚しましたが、それも導かれたと思っています。(そこに至るまでは、長かったです^^)
この結婚のことは、またいつか改めて書きますね。
今日も読んでくださって、ありがとうございました。