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私が「神」を知ったときのこと
こんにちは。
カウンセラーのmocoです。
心のことと、神に祈るという少しスピリチュアルなこともお伝えしています。
この記事は、私が霊性とかスピリチュアル、この世界を超えたものに関心を持つようになった始まりのお話です。
24才のとき、私はキリスト教の教会に通い始めました。
それまで、そういう神とか仏とか、スピリチュアルなことには無縁の人間でしたが、その前の7年くらい肌の病気を患っていて、もうクタクタで。
社会人になるころには肌は落ち着いていたけれど、体力はないし、心にダメージを受けていたのでしょう、なんだかぎりぎりで生きていました。
母がその何年か前から教会に通っていて、声をかけてくれました。
初めて行った教会で、神とかよくわかんないなと思いつつ、それでも教わったとおり、祈るようになりました。
これって誰に言ってるの?
意味あるの?
なんて思いながら、です。
そうしたら少しずつ、体験があったんですね。
それまで感じたことのないような
不思議な穏やかさで心が満たされる、とか。
実際には目には見えないんだけど、きらきらした小さな光の粒がいっぱいの、しっとりした空気に変わる、とか。
いくつもの不思議なことがありました。私が教会に通い始めてすぐ、まだ洗礼も受けていない頃のことです。
祈ったあとには、別人のように心が穏やかに、しっとり潤っていて、「ああ、これが神の平安というものか、、、」と知りました。
冒頭で書いたとおり、20代半ば、渇いた心で生きていた私にとって、その穏やかさ、潤ったような感じ、安心感は、涙の出るような深い体験でした。それまで、私はそんなものを知りませんでした。
誤解のないよう言い添えますが、だからキリスト教はいいよ、教会に行こう!と言いたいのではないのですよ。
実のところ、私はその後5年ほどで教会から離れます。そして、しばらく後になって知りましたが、内なる神に祈ることは、なに教徒かとか関係ないのですね。
姿かたちのない、なにか大きな、人知を超えた存在というものは確かにいて、私たちはそれに祈り、聞き、頼ることができます。
そういうことをお伝えしようと思い、この記事を書きました。
読んでくださってありがとうございました^^