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神の臨在
こんにちは。
カウンセラーのmocoです。
穏やかな心でいること、内なる神に祈り、導かれて生きることをお伝えしています。
20年前の話です。私がキリスト教の教会に通い始めて1年経ったころ、すこし不思議な体験がありました。今日はそのことを書きますね。
そのころ私、体力的にぎりぎりの毎日でした。残業はほとんどないのですが、通勤とフルタイムの仕事、それだけでとても疲れていました。
会社から帰ってきて夜ご飯を食べる。寝る前にはお風呂に入らないといけないのだけど、お風呂って、けっこうエネルギーが要ります。
少し休もうと自分の部屋のベッドのヘッドボードに頭をのせたまま、うとうとしてしまったんですね。
目が覚めたら夜中の3時。ああ、こんな時間になっちゃった、お風呂に入らないと、とぼんやり考えていたら、部屋に何かがいることに気づきました。
かたちはありません。何も見えません。でも確かに、何かがいました。
こわくはなく、嫌な感じもありません。
大きくて、すごく大きくて、端がどこにあるかわからない。部屋いっぱいより、もっと広がっている。
強くて、確かな感じがしました。
威圧感はありません。温かくて、優しいものでした。
あれは、心でした。
からだを持たない、心だけの存在、神の心でした。
短い時間に、なぜそんなにたくさんのことがわかったのか私も不思議です。寝起きのぼんやりした頭で。でも、なぜだかわかったんです。
それは個人的に私のことを知っていて、私に関心を向けていることもわかりました。
純粋で、混じり気がなくて、すごくきれいなもの。なにも欠けていなくて、なにも足りないものがない、完璧なもの。ただ、光で照らすことができるもの。
そういうことが、一瞬でわかりました。何も言えないくらい、圧倒的なものでした。
もし近くで人が見ていたとしても、何も起きていないように見えたでしょう。肉眼で見えるものは何もなく、私は一言も発していない、なんの動きもしていないですし。
何分続いたのか、もっとだったのか、そのあとのことはよく覚えていなくて、そのままだんだん落ち着いて終わったんだと思います。
あとにも先にも、あの1回だけの体験です。
今ではもう、記憶はずいぶん薄れてしまったけれど、それでもまだ、思い出すことができます。私にとって、とても貴重な記憶で、あとから何度も、何度も思い返しました。
私たちはいつだって、誰だって、あの心に見守られているんですね。たとえ、そんな実感がないとしても、です。
読んでくださって、ありがとうございました。
よい1日をお過ごしください^^