ルッキズムについて考えてみた。
そもそも、「人を見た目で判断してはいけない。」のはなぜか?
特に話題となるのは、就職試験など本来なら能力で選抜されなければいけないものを見た目がよいという理由で採用するのは是正していかなければならないという論。
能力ってなに?
学力?
コミュニケーション力?
問題処理能力?
この論を唱える人たちの理屈としては「見た目では人間性は分からない」とか「見た目は持って生まれて自分では変えることのできないものだけど、能力は後天的努力でなんとかなる」とかいうものみたい。
でもね。。。橘玲先生の本にも書かれてたと思うけど(『言ってはいけない』だったかな?)学力や能力だって先天的に持って生まれたもの(遺伝子)に左右される割合がとても高くて、例えば努力できる能力ってやつも先天的に決まってしまってるらしい。
例えば、先天的に数学の力が弱くても、努力できる能力ってやつが高い人はがんばることが苦じゃなくて、数学の力が強くて、努力できない人よりいい成果を残せるかもしれないよね?
先天的に努力できる能力が高い人と、先天的に勉強ができる人のみが学力試験では有利になっちゃうってことですよね?
そう考えると、大学入試は学力の弱い遺伝子と努力しにくい遺伝子を持って生まれた人を弾いてしまう試験ってことになりますよね?
それは差別にならないの???
(批判じゃないんです。純粋疑問です。)
わたしは仕事の一部で、小さい子どもたちとよく関わります。
子どもたちに人気があるのは、、、
残念ながら、見た目のよい大人です。
見た目が華やかだったり、優しそうだったり、爽やかだったりすると、人間性がどうとかいう前に子どもが集まってきて人気者になります。
反対に太ってたり、歯並びが極端に悪かったり、ニキビだらけだったり、鼻が上向いてたりすると、子どもたちの好感度は低いままです。
思いやりを持ち、丁寧に関わっていても。。。
自分だって子どもの頃はそうだったし、今だって、例えば同じスペックの店員さんが対応してくれるんだったら、美しい、もしくはかっこいい店員さんのほうがうれしいです。
まぁ、この「スペック」を先入観なく審査しろよってことなんだろうけど。就職試験なんかでは。
ということで、なにかの正しさを主張するつもりはありませんが、善悪の前に、人は美しい見た目、かっこいい見た目に惹かれてしまうという残酷な真実については全面的降伏しちゃうなぁ。。と感じて言葉にしてみた夜でした。
読んでくださった方、ありがとうございます❤️