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ミュージカル「GIRLFRIEND」
正直、観るのをやめようと思った。
”推しが出演するから”
”二人芝居だからずっと推しを観られる”
”推しの歌がたくさん聴ける”
それだけでチケットを取った。
推しの出演情報は他にも出ていたけれど、この舞台を選んだのはそんな安易な理由だった。
地方住み故、いつでも気軽に観に行ける訳では無い。
6/16(日)昼公演を狙う。
それなら前泊で。
どうせ前泊ならシアタークリエに推しが初めて立つ瞬間を目にしたい。
6/15(土)夜公演も追加しよう。
スケジュール的にも予算的にもなんとかなる。
(余談だが推し活仲間でもある中学生の娘を連れていくのが前提なので全てにおいて経費は2倍である…泣笑)
チケット当選からの私の動きは早かった。
即座にホテルと飛行機を押さえ、慣れない都会の交通情報や劇場周辺情報をくまなく調べた。そして何度も何度も頭の中でシュミレーションした。
推しが観られる、ただそれだけでいい。
幸せで楽しみで仕方なかった。
それなのに何故最初のあの言葉が出たのか。
メインビジュアルを観た時に、しまった…と思った。
既に出ていたあらすじなどで気付くべきだった。
浮かれポンチな私は、推しが観られるという喜びだけで深く読み込んでいなかったのである。
そう、この舞台の大きなテーマが同性愛であるということに全く気付いていなかったのだ。
そもそも中学生の娘に見せるテーマとしてもどうなんだ?とも思う。どこまで掘り下げてストーリーが進むのかも分からないのに。
(結果として中学娘に関しては杞憂でしか無かったので割愛)
話を戻して、私が観るのをやめようと思った大きな理由…
今年社会人になった娘が当事者なのだ。
(厳密に言うと元旦那の連れ子で現在は”娘”ではない。しかし私たちの関係は今も変わらず母娘なので娘と呼ぶ。)
ほんの身近で傷付いたり悩んだりする彼女を見てきたから、だからこそ、観たくない気持ちが強かった。
美談にされては困る。
同性愛が美しく神聖なもののように描かれる作品もある。
そうであっては困る。
現実は美談では語れないのだから。
リアルに厳しく描かれるのも困る。
泣いてきた娘の姿を見るようで心が潰されるから。(※ただしこれは私の感情だけの問題)
だから観るのを悩んだ。
上辺では楽しみだ、早く観たい、と言っていた。
口に出しては見るものの、心は憂鬱になるばかり。
飛行機に乗っても会場を見ても席に座っても、頭の中は説明し難い複雑な感情でいっぱいだった。
もし今日観てダメなら明日の観劇はやめよう。
推しを観るのがこれで最後だとしても。
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舞台の幕が上がり、そこからの1時間50分はあっという間だった。
ほんとうにあっという間だった。
自分でも何の感情かわからないのに涙した。
ストーリーだったのか、歌唱だったのか、それとも娘の姿を見るようだったのか、理由は明確ではないが溢れ出す涙を止めることは出来なかった。
あの時代に生きていた多感な年齢の彼ら。
たしかにそこに生きていた。
1993年のネブラスカに。
ふたりが生きて、恋をして、喜び、傷付いていて、それでも止められない想いがそこにあるだけだった。
恋愛なんてはるか昔のことで忘れかけていたけれど、私だってきっとそうだった。
家に掛かってくる電話一本でどれだけ胸を高鳴らせたことか。
うまく言葉にできずすれ違い、傷付いて、それでも恋をしてきたことか。
何も違わない。
たとえマイノリティだとしても。
カミングアウトされた時、私が娘に伝えていたこと。
あなたを笑顔に、幸せにしてくれる人なら男だろうが女だろうが関係ない。
結婚や出産だって私は望んでいないし、もしもそれをあなたが望む日が来たのなら、きっと方法があるから一緒に考えよう。
やっぱり間違ってなかったな、と思う。
今、娘は愛する人と一緒に暮らすようになった。
多様性社会と言われるこの時代でもやはり傷付くことは多い。
この時代だからこその苦労がある。
不必要なカミングアウトの強要だったり、興味本位のみの詮索だったり…そんなことがあることも知っていただきたい。
私はいつだって娘の理解者で、味方でありたい。
まだまだ未開拓の茨の道を進む娘とその恋人を守りたい。
甘やかすのではなく、彼女たちに気付かれないように少し離れた場所から見守りたい。
いざと言う時は茨のトゲを切ってあげたい。
出来るだけ傷付かないように。
それに気付かせてくれたこの舞台。
作り上げてくれた方々。
出演してくれた推し。
本当に感謝したい。
感謝している。
余韻がすごすぎて2公演しか観ていないのに、私はまだ1993年のネブラスカに生きている。
ウィルとマイクの未来が(今が)幸せであって欲しいと願いながら。