李禹煥美術館
先日広島県福山と岡山県倉敷市での公演の合間に以前から行きたいと思っていた瀬戸内海の直島に行って来ました。
島内にある美術館や屋外や集落内に点在するアートを、島の風景と波の音、潮の香りを感じながら歩いて巡るというコンセプトそのものが素晴らしいなあと思いました。
いろいろと見たものの1つが「李禹煥美術館」。
李禹煥(リ・ウファン)さんのことはテレビ『日曜美術館』でたまたま観るまで知らなかったのですが、番組中の村上隆さんとの対談の中で
「いま日本の文化で一番の問題は色んなえらい学者たちとか文化人たちがみんな入門書とか解説書の類いばっかり書いているんですね。自分の専門的な研究しないで。」
「専門家っていうのは自分の専門をとことんやらなくちゃいけない」
というようなことを言っていたんです。それにすごく共感して「その通りだよな〜」と思うと同時に自分自身には「グサっ」と来る言葉でした。それ以来この方のことが気になって、雑誌PENのインタビュー記事を読んだら、1960年代後半から1970年代半ばの日本で起こった「もの派」という動向について
「近代文明への懐疑が高まる中で起こったもの派は・対象性を重視してつくる近代美術とは異なり、つくらないものを表現の場に導入する動きでした。石、木、土など既にあるものから無限感を引き出す試みなのです。」
と言っていて、”なるほど!”。
「農具ミュージック」で僕が古い農具や民具を使って作品を作るのもそういうことなんです、たぶん。自然物ではないけど、過去の名もなき人が生活の中で作ったものから普遍性を引き出す、っていうか。
そして「身体性」について、
「どんなテクノロジーを使うよりも自分の表現を引き出せるのが身体性です。表現に生き、生きる瞬間に考えるためにも寡黙に制作に向かうしかありません。効率は悪くばかばかしいかもしれませんが、機械を使って工場のように制作することに僕は反対です。」
僕自身、ここ何年かの岩手をはじめとする田舎での滞在・制作を通じて「身体性」ということに強い思いを感じていたので、”そうですよね〜!”という思い。手のかかることには価値がある。効率の名の下に見失っているもののなんと多いことか。
そんなわけでいつかこの人の作品を眼の前で見たいと思いつつ、当時開催されていた「STARS」という企画展には結局行けずじまいだったのですが、今回初めて直島で目の当たりにすることが出来ました。
僕は正直なところ、石が置いてある作品とか、鉄板が立っている作品とかを理解する素養はあまりないみたいなのですが、展示作品の中で「点より」というカンヴァスに絵筆で四角い点を反復させている作品にすごく惹かれました。
※展示作品は撮影不可ですし、ポストカードをスキャンして掲載するのも 著作権侵害になるので残念ながら画像はありません。
和歌山県立近代美術館へのサイトで一部画像が見れます。
規則性・連続性と、手描きによる不規則性・かすれ、そのなんともいえないハイブリッドな世界に引き込まれ、しばし見入ってしまいました。古い水車の木製歯車機構を見ているときの感覚に通じるものがあったんです。
音楽水車や農具ミュージックの制作で、歯車をたくさん切り出さなきゃならない膨大な作業の中、レーザーカッターやCNC加工機の導入も考えることもあったりするんですが、もう少し「手切り」で頑張ってみようと思いました。