映画『ラスト・ディール 美術商と名前を失くした肖像』を見た。
(ネタバレあり)
ラストディールとは、最後の取引。
美術商として最後に大きな仕事をしたいと思っていた72歳のオラヴィ。
オークションハウスの下見の時に見た「男の肖像」に魅了される。
その絵画には署名も出所も不明だったことから、購入することをためらっていた。
孫が学校のインターンシップのようなもので店で働くことになった。
働いた後に評価するというもの。
長らく自分の娘や孫と交流がなかったようだ。
娘は表情が険しく生活に苦労している様子だった。
孫は生活のためのお金に困っていることを知っていた。そこで、安く仕入れた洗剤を学校で売ったことが問題視されていたために、他の店でのインターンシップができないということだった。
オラヴィは気になっていた絵画に事を調べるためにも店番が必要だったこともあり、孫のことを引き受ける。
商売をすること、美術商として大きな仕事をすることに関心を持ち生きてきたオラヴィには
人として何かが欠けていた。
・・・
その絵画は、実際の画家である
イリヤ・エフィーモビッチ・レーピンが描いた『キリスト像』。
オークションで落札するためには、レーピンが描いたという確信のある証拠が必要だった。
そこで孫の活躍で、所有していた人がいる老人施設に行き、誤魔化してその証拠となる書物にあった写真を手に入れる。
オークションの時にはどんどん値段が上がり、見ていると落ち着かない気持ちだったが、その時にはレーピンの絵であると確信できていたのだった。
1万ユーロで落札した。日本円で125万円。
・・・
商売をする際には
相手をせかすことなく
十分に情報を与え反応をよく見ること。
そして
その情報を相手が飲み込んだ時に
どんと背中を押すことが肝心らしい。
選択肢を与えて自分で決定させるということだ。
何事にも通用するものだ。
・・・
かねてからレーピンの絵画を欲しがっていたスウェーデンの投資家?に連絡をすると
相手が購入のために訪ねてきた。
贋作かもしれないとの入れ知恵があって、提示した金額どころか、連絡もない。
気をもむレヴィがホテルに訪ねていってしまい、結局商売の基本となる相手をせかすことになり、購入はなかったこととなってしまう。
名作である絵画も、投資目的の絵画には興味がない人のところへは行きたくはなかったのだろう。
・・・
孫のipadから美術館へメールで質問すると
電話で回答があった。
「レーピンの『キリスト像』には署名がないのは
キリストを描く際に
個人ではなく、全体のために描いた、
自分を誇示するためにはなく謙虚を示すためだったと考えている」
とのことだった。
神聖なる聖画だったのだ。
・・・
最後にはレヴィは商売をたたみ
そして
弁護士に相談する場面があり
そして
片づけをする場面で椅子がくるくると回って
止まった。
次のシーンではレヴィのお葬式。
・・・
危うく、狡いオークションでその絵画を売ったことを悔やんでいる人に
返金で対応されそうになるが、その絵は孫に遺言で譲られた。
価値として10万ユーロは下らないという。日本円で1250万円。
孫の大学の資金として十分だ。
・・・
レヴィはオークションの支払いのために、孫に預金を引き出させていたことがあった。
娘に借金を申し込んだ時にも他人行儀に利子の話をした。
そして娘を泣かせた。
娘の離婚の時にも手を差し伸べることをしなかった。
ともに苦労をしなかった。
自分の仕事のことで手一杯、頭が一杯だった。
配慮が足りなかった。
愛情を示すことが足りなかった。
遺言の手紙にはそんな後悔の言葉が書かれていた。
・・・
しかし
そんな気持ちの手紙を残すことで
娘や孫はこれからも生きてゆくことができると感じた。
・・・
娘が価値のあるレーピンの『キリスト像』を小脇に抱えてバスから降りると
彼女の息子が待っていた。
希望が見える終わり方。