木皿泉『二度寝で番茶』「贈る言葉」 宮沢賢治の言葉
風のなかを自由にあるけるとか、
はっきりした声で何時間も話ができるとか、
じぶんの兄弟にために何円か手伝へるとか
いふやうなことは
できないものから見れば
神の業にも均しいものです。
人はそれぞれが持っているものを生かして生きています。
その中で
温かさや優しさがあるとしたら
それは
素晴らしいものを持っていることになります。
そんなことは
もう人間の当然の権利だ
などといふやうな考えでは、
本気に観察した世界の実際と
あまり遠いものです。
当然の権利と思うようになると
その行為が
何かを失ってしまうようになるのです。
どうか
今のご生活を大切にお護り下さい。
上のそらでなしに、
しっかり落ち着いて、
一時の感激や興奮を避け、
楽しめるものは楽しみ、
苦しまなければならないものは苦しんで
生きて行きませう。
楽しめるものは楽しみ
苦しまなければならないものは苦しんで
生きていきましょう。
それでも何とか生きていくことはできるものです。
(宮沢賢治全集 9 書簡 ちくま文庫)
この本である『二度寝で番茶』は木皿泉である共同で執筆している脚本家の大福さんとカッパさんがラジオで話しているように書かれています。
自分で選んだものは、
全部自分にはね返ってくる。
選んだ限り、
その人が一人で背負わなければならない。(大福)
自分の事は自分でやるしかないし
自分で責任を持つしかないのです。
なんか殺伐とした場所に、
みんな背負いきれないものを背負いながら、
友達はいっぱいいても
信じることができる人は少なくて、
必死に立っているんだなぁと思ったら、
泣けました。(かっぱ)
それでも
みんなが背負いきれないものを
やっと背負って
つらい中で
必死にたっているのを見ると
泣けてくるというのです。
でも
自分の荷物は自分で背負うしかないのです。
踏ん張っていると
足腰も鍛えられて
強くなるでしょう。
すると
背負うことは
つらくなくなるのです。
泣いてくれる人がいる人は
しあわせですね。
自由とは
選択の余地のないがんじがらめの中で
獲得するものです。(大福)
自由は
選択肢がない中
その中でどう生きるかの自由ということでしょう。
考えると
自分の人生の中で
自由に選択できたことなんて
ないかもしれません。
でも
その中で
どう生きるのかは
自分の自由なのです。
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