①ラニーノーズ山田を告発します
2024年6月22日、ラニーノーズ山田さんにインスタグラムを突然ブロックされました。
最後にDMしたのは約3年前にもかかわらず。
わざわざアイコンとユーザー名を覚えていて、何百とある投稿のいいね欄から私の名前を選んでブロックしたんです。
心当りはあります。
彼は「頭のおかしい女の手紙をしっかり読みこんだ上に、"不自然なセリフ"を使ってまでお笑いのネタを介して彼女を自殺に追い込もうとした」ことを私は知っているからです。
しゅんきさんの炎上ノートもその頭のおかしい女を自殺させるために書いたものです。
彼のお笑いのネタという形をした暴力の話の前に、彼がどれだけ仕事を真面目にしていかなかったか、ファンの目の前で仕事に集中せず裏切り行為をしたか、頭のおかしい女がどんな風に作られたかを記載します。
はじめに
私の告発の正当性を証明するために、私と山田さんの関係を先にお伝えしなければなりません。
彼との5年以上の確執について記載させていただきます。
長くなりますが、状況証拠しかないため数を増やすしかありません。
信じていただけた方は②の方に読み進めて下さい。
4年半前にTwitterで暴露したことは当初は省略してたのですが、もう当時のファンがほぼ残っていないので追記しました。
前提条件として
・月に1回程度、ラニーノーズまたは彼らのバンドRunny Noizeのライブに行っていました(長期休暇の際はその期間の中で2回行く程度もありました)
・手紙は2019年6月から2024年6月までずっと、月に1回程度、郵送あるいはバンドライブの物販の際に手渡しという形で便箋5枚程度、たまに印刷してA5で6枚ほど送っていました(ほぼ全てログを残しています)。返信を求めたことは「さようなら」と書いた2021年2月以外はありません
・出待ちは2019年6月29日のトークライブ後にたった一度のみ
・ライブの物販で会話したことはほぼなく、手紙を渡すだけ。
また(スタッフが物販に立つワンマンライブを除いて)行ったライブは1度の例外なく山田さんも物販に立っていました
2019年
初めて舞台に行った日〜歌ネタ王優勝まで
初めて舞台に行ったのは2018年12月22日の無限大ホール。
初めてライブに行った時は山田さんが物販に立っていてTシャツを買おうとすると、奥から洲崎さんが突然出てきて「どうやった?」と向こうから声をかけてくれて、少し会話をしてからすぐに戻っていきました。
初めて行った単独ライブ、2月26日の「オトカケ漫才2nd」。この日はあまりネタが面白いと感じられなくてほとんど笑っていなかったのですが、バレていました。
「だらだら」は私への片想いを歌った曲なのですが、最後の「笑って 笑って 」の部分に彼の悲壮感が歌われています。
彼は売れない限り、あの日の私がコンプレックスとして残り続けることでしょう。
彼がこっちを見ていると遂に気付いたのは6回目に現場に行ったとき、2019年4月29日のRunny Noizeのワンマンライブでした。
パーラーの西村さんに私を中央に押し込まさせて、前に出てきて手を伸べた時にじっとこちらを見た時。
その後もどんな舞台に行っても彼は合間を見て、ステージの上からじっと私の方を見ていました。
2019年5月のラニーズルーム。
終了時間がよくわからないノリ(洲崎さんにリテイクさせる→同じことを言う→洲崎さんにリテイクさせる、の繰り返し)で15分押しました。「光へ」の歌詞の中の「バレないように時計を隠した」というのはこの時のことです。
6月1日。リベンジマイロストさんとの対バンライブ。私と彼はずっと目を合わせて、終了間際にテツヤさんに耳打ちして頭を叩かれていました。
しかし私は彼に物販ですら声をかけることなくすぐに帰り、彼は泊まるところすら決まっていなかったようでザビさんの家に泊めてもらっていました。
そして2019年の6月10日、突発で組んでライブハウスの人が少し怒っていたような新宿でのバンドライブ。
dear my friend kからライブは開始しました。あの時の絶望は…。
終演後、初めて手紙を、連絡先を書いた手紙を渡しました。「あなたの作る作品が好きです、頑張ってください。」とだけ書いて。
この写真を見て私は何かしなくてはいけない気持ちになりました。
「ずっと山田さんがこっちを見てくるのだから、意識しているのかと思いました」とインスタでDMし、もう一つ上の段階に。
でもそれには既読がつくのみで返事がなく。
当時はストーリーからDMが送れるように設定していて、ストーリーも更新した為に埋もれてしまったからも理由の一つかと。
ちなみにストーリーのDM欄を閉鎖した瞬間は、ポストよしもとインスタライブで、最後の公演企画を募っている時に「百物語」と私がコメントした直後のことでした。
この「百物語」のことを「ほぼ全レスにも関わらず、当たり障りがないコメントなのに反応しなかったし、なぜかその直後にDM欄を閉じた」と4年半前に暴露して、その4年半前と同じ女が手紙を送ってきているから今更ブロックしたのに、何故か2023年の夏単独のタイトルは「百物語」でしたね。
昔からのファンの方は4年半前の女と、「光へ」の女と、ずっと続いていると気付いていたんじゃないですか。
本筋に戻りますが、家に帰ったあとの彼は、一人で部屋でとりつく島もないほど号泣したのでしょう。詳しくは知りませんが、私は彼らは仲が悪いと思っていたのに、当時の同居人の方が意味深な投稿をされていました(画像は消去しました)。
彼はこの後ずっと放心していました。
大事な東京の仕事があるのに、ウチのガヤではゴールデンスペシャルの収録なのに全く前に出ることができず、それ以降は遂に番組終了まで呼ばれることはありませんでした。
今の彼のコンプレックスの一つでしょう。
東京と云う場所がさらに感情を加速させたのでしょう。彼がこんなに憔悴している理由を知っていました。
ファンレターを劇場に送って、長文でしっかり私の気持ちと考えを伝えました。
「私もあなたのことが好きです」、と。
もう33歳なのに恥ずかしいけれど、もし全然全く違うのなら、どうせ顔なんか覚えられていなんだし何食わぬ顔でまた舞台いけばいいな、と。
自分の手紙が届いた瞬間に遠くの人の表情が変わるとこ、この後約5年間続きましたが本当に嬉しかった。彼の力になれているような気がして。
そんな手紙が届いたあとの6月29日、大阪のトークライブに東京にいるはずなのに突然来た私に気づいた山田さんは、何度も足を組み替えてもじもじもじもじ。初々しくて可愛らしかった。
とはいえ本当にそうなのか半分疑問だったんですが、次の日の6月30日の単独。3列目にいる私とコーナーの時ずっと目を合わせながらイチャイチャしてましたね。
だから私、彼を信じたんです。ここまで身内を巻き込んでくれたし、彼が信じてほしいと思ってたから。
歌ネタ王優勝〜年末
9月18日。ラニーノーズ、歌ネタ王優勝。
その瞬間、彼は私を裏切りました。
こんなにキラキラした世界が待っているのだから、そのへんの年取った汚い素人女で終わっていいのかって迷ったのでしょう。
私はそのことに気づいていました。
だから優勝した後に劇場に送った手紙で、彼に初めて「異性として好きです、愛している」と伝えました。離れかけていた気持ちを戻すために。
彼は心の奥ではどう思っていたか分かりませんが、愛していると言われたことはそれなりに嬉しかったみたいです。
(10月16日にAMBITIOUS JAPAN!を歌ってたのは「I get a true love」って歌いたかったからでしょうね)
でもM-1の3回戦落ちしたことが悔しかったのか、それとも遂に決断したのか。
2019年11月4日、DM送ったら「長文ファンレター送ってくる人ですか?勘違いです、諦めてください」ってついに返事をくれました。
それなのにあなた、それからずっと泣いてましたね。
ラニーノーズのコンビ仲は歌ネタ王優勝の後あたりギクシャクしていたとトークライブで言われていました。
漫才中にこんな顔をして、尚且つメガネを見つけてもらって「お前に感謝することなんかない!」と相方に罵声を浴びせて、大荒れでした。
Runny Noizeは11月末頃に3rdアルバムの収録をしており12月10日頃放送のMBS「OFLIFE」の密着がありました。
「光へ」のPVはその時の映像が一部使われていますが、ひたすら地獄のように暗かった。
「だらだら」や「sorry」などはその時に収録された音源で、2月に収録した「cut cheese cut cheese」や「光へ(歌詞を変更したので再収録)」に比べて山田さんの声の元気がないのが歴然としています。
OFLIFEでは最後に新曲を披露して放送は終了しました。
番組の説明では、カナダ時代の香川の友人Yoshiさんに書かれたというのが「光へ」。
もしそれが事実ならば、配信があった東京の3rdアルバム発売記念ワンマンで演奏しない理由があるでしょうか?
「妄想の片隅にでも僕がいればいいのになって思った 頭の中では裸足のままでも 全てを許して君は笑った」
歌詞を変更する理由があるでしょうか?
私は新曲の内容など全く知らないので、このライブの約2日後、11月24日に「返事しなければ、今まで他の芸人が匂わせてきたこと含めて暴露する」とDMして、上記の写真の他に捨てアカで何枚かを公開しました。
当時のラニーノーズは人気があり、今よりも証拠は少なかったですが、見取り図さんがフォローしている放送作家さんがフォローしてきたり、芸人の息がかかっていると思われるDMが来たりしましたが、怖くなったので公開して一晩でログインするのをやめました。
当時の彼らは多分ペナルティを受けたことだと思います。歌ネタ王の優勝記念グッズは本来12月頃発売だったとかと。結果的にその後コロナ禍が始まり1年遅れました。
最初で最後のカウントダウンライブのMCだったのに、告知動画でも引きつった笑顔で、上の空。(NG動画でも上の空)
そしてNGK単独の日12月18日、振り返り動画のABCの歌を見ながら、必死で感情を抑えています。
ABCの歌は、一目惚れした私をずっと探してくれた歌。
だるまさんが転んだ、は
歌ネタ王の時の「転ぶのは黒目がないから」は私から彼への歌。
NGK単独の時の「転ぶのは君がいないから」は彼から私への歌。
裏切った痛みで押しつぶされそうだったんですね。
NGK単独の日にアップロードしたこの動画。「愛してるね」。
この日であることに意味があったんですよね。
ただ彼から私へのメッセージだったと思ってましたが、実態は伴っていませんでした。
そんな彼が可哀想で、私は2019年12月27日の舞台に行くとDMを送りました。
でも既読がつくのみで返事はない。なんだ心配して馬鹿らしい。
この日、なんでそういうタイプじゃない山田さんがトリだったんでしょうか?ま、それは言いがかりとして。
終演直後、「楽しすぎて泣いてしまいました!」ってツイートされてましたね。
でもこの時の写真は、半分ぐらいの方が違う意味で泣いてるように見えます。
舞台に出ていたのにこの写真に写っていない、ずっと私のために匂わせしてくれた同居人の方はタバコに行ってたから、なんて嘘でしょう。
先輩芸人さんの主催ライブなのに、そんなプロ意識が欠けた方ではない。
2020年
迷える子羊
あれだけ無茶苦茶になったのに、それ以降もずっとこの人は私を無視しました。
舞台に行く予定DMに既読はついて、コロナ禍になってからも手紙を月に1回劇場に送ったけれど返事はない。
そんな中、2020年6月26日にこんな手紙を送りました。
34歳の女がキモいですよね。でも7月末のハイキック寄席でこんなネタをしてくれました。
(干支を歌いながら覚えるというネタ)
ふたりとも苦笑い!「迷える子羊」って言葉、この3年後にも出てきます。
また、同じ6月の手紙の中に「部屋の掃除でも何でもしますよ、百人一首でも一緒にやりますか?」と書きました。
8月末のハイキック寄席では百人一首を歌ってみようといって、「花のー散るらむ~~~」って歌うネタをやってくれました。
それが無理やりやらせているみたいで、申し訳なくなって。
だから9月17日の手紙には「無理に縛り新ネタしなくてもいいよ」と伝えました。
ラニーノーズの悪口を言うように
こんな無茶苦茶なことしてるのに、この人は何も答えてくれない。
そして私のために面白くないネタを作ってると思って苛立ってしまいました。
2020年8月、ついにラニーノーズに対して思っていることを正直に彼に言ってしまいました。
「ラニーノーズは消えると世間は予想している。私の予想も世間と同じ。」
私がそんなことを言った大きな理由はあるのですが、伏せさせていただきます。
私達の仲は険悪になってしまいました。
そして彼の誕生日であり、私を初めて見つけた12月22日。
名古屋のライブでは、私に書いてくれた曲である「光へ」を歌ってくれたのに、私は終演直後に彼に本当に酷い暴言DMを送りつけました。
かなり堪えたことだと思います。
彼が私を裏切ったから何を言ってもいい、ではなく、少なからず好意を向けてくれている人への言葉としてはあまりに無配慮でした。
2021年
DMの既読がつかなくなったのにtwitterを監視する
この年末年始はコロナ絶頂期で、年明け早々にRunny Noizeの東京のワンマンライブの中止が決まってしまいました。
でもたった一つ、いいことがありました。
2月7日、R-1の準決勝進出が決まったんです。
全国ネットの番組の準決勝なんて初めてで、本当に嬉しかったことだと思います。
それなのに私は、「R-1準決勝にいくなんて予想外だった!」(本当はもう少し酷い)とDMしてしまいました。
遂に、今までどんなに酷いことを言ってもずっとついていたDMの既読がつかなくなりました。
当時twitterにはフリートという機能があって、ストーリーみたいに足跡がついて、DMが送れました。
新衣装の写真を洲崎さんが投稿された時、思わず野球アカウントでDMしてしまいました。(該当写真は保存していません)
「山田さん泣いてる…。泣かないでいいよって言ってくれますか?」
これを言った瞬間に洲崎さんはフリートのDM欄を閉鎖されました。
このコメント自体はDM欄を閉鎖するほどのものでしょうか?
そして2/14の準決勝に落ちた後、いつだったか山田さんがインスタライブした時。
始まった瞬間に「こんばんわ」ってだけコメントしたら、口を抑えながら画面をスワイプしてましたね。
だから、胸が苦しくなって私はすぐに画面を閉じてしまいました。
決定的証拠なのに動画がなくて悔しいな。
私は心から自分の無礼と無配慮を恥じて、2月20日に彼に「今までありがとう、さようなら」と手紙を送りました。
今振り返っても、あの時は言いすぎたと思っています。
今回との大きな違いは、彼が時間によって私の心を壊そうとしていた悪意があるか否かです。
でも敗者復活戦でも負けて、寂しかったし後悔したんでしょうか。
動画はアップロードしませんが、3月24日ハイキック寄席では、「例えばあの時 すれ違い出会わなければ、今すぐ会いたいよ なんて思わずに済んだのに」という歌を相方に歌わせていました。
4月19日、自分が泣いてる動画をわざわざ自分でRTしますか?(ネイビーズアフロはじりさんのtwitterより)
この人の構って構ってに耐えられなくなって、2021年4月23日着で手紙を書きました。
(以下全文そのままです)
それで憂いのない笑顔、見せてくれたね。
でも、悔しい。画像の出典元すら忘れて貼れない。
そんな沼津の終演後、山田さんが初めてフリート投稿をしました。
そして投稿されたアジャスという漫画を見て、私と山田さんのツイート。
足跡から私のアイコンを洲崎さんに聞いて特定したのでしょう。
もし万が一見てたら悪いなと思って一旦消した後に、「そんな訳ないわな」と思ってもう一度投稿したので、時系列に信憑性なくてすみません。
本当はこれだけで彼が見ていると確信した訳ではないですが、これ以降2023年12月頃まで(私が病みツイートしすぎた為に彼が疲れて覗き見するのをやめました)、私の野球アカウントでずっと匂わせというか会話もどきをしていました。
絶対に誰にもバレないという自信があったので。インプレ数からして最後までバレませんでした。
元々の野球関係のフォロワーの方、すみません。
配信があるから大丈夫ではない
ワンマンライブなどいろいろあって、再度普通に月に1回手紙を送る関係に戻りました。
「愛してる」
「ただ謝ってくれるだけでいい」
「座っていただけのお客さんから好きな芸人を奪った。それなのに、いつまでも謝らないあなたに他人を笑わせる資格はない」
「あなたにとって私はゴミ箱に捨てたゴミクズ」
「あなたは今日も明日も私を笑わせてくれることはない」
とかいっぱい書いているのに、彼はずっと手紙を読んでくれました。
(彼らのネタやお笑いそのものを貶したことはないと記憶しています)
2021年12月6日の渋谷タワレコのインストアライブのチケットに当たって、手紙を送る時間がなかったのでその旨をtwitterでのみ告知しました。
すると開演前に舞台の袖から、
「配信あるけど大丈夫?」と誰かの声が。
「大丈夫でしょー!」と山田さんが答えると、皆の笑い声。
その場にいた方、聞こえてましたか?
実際のところ、この人の感極まりとか鼻炎ってほぼ毎回なんでしょうか?
「star betray」は私を失った彼の寂しさをテツヤさんに書いていただいた曲なのですが、この曲で感極まったことを2024年6月28日のインスタライブを見ていらっしゃった方はよく覚えてはりましたね。
(現在インスタは別垢&別端末で見ています)
2021年の年末、彼はすごく疲れていました。
この頃には、もうすぐ36歳になる女の切る時期を見誤ったと後悔していたと思います。
カッコつけで、年取ったから捨てるなんてできないと思ったからズルズルやってただけかと。
人気芸人に生ゴミみたいな年上の恋人がいたら、なんかいい。という理由だけで、実態は伴ってなかったんでしょうか。
2022年
ツンデレヒットマンりりちゃん
2022年5月6日、急遽予定が空いて寄席にいけるようになったのでツイッターで告知しました。
別に寄席の時は気にしていないのですが、Twitterで気軽に連絡できるようになったその頃は言わない理由はないので。
その公演のネタは「洲崎さんが彼女に歌う最悪なラブソング」で、途中で他の女の子の名前を羅列するという下りがあるのですが、こういうネタで今まで一度も言ったことのない私の名前、「マキ」と呼んでくれたんです。
事前に洲崎さんとネタ合わせした上で、私が喜ぶように名前を呼ばせてくれたんです。
本当に嬉しかった。
だから嬉しくてその日か次の日だったか、初めてKBS「ラニーノーズの鼻」というラジオを聞きました。
私の野球Twitterがバレるのは絶対にありえないし、ラジオの内容に適当に反応してツイートして会話している気分に。当然まさか見ているなんて思っていないですが。
「フェイクムービーはどれだ」という、3つのありそうな映画のタイトルとあらすじの中に、一つだけ山田さんが作った架空の映画があり、それをいくつかの質問で当てるというコーナーがありました。
その日のフェイクムービーは「ツンデレヒットマンりりちゃん」。
質問していく中で洲崎さんが映画の公開年を訊ねたところ、山田さんは「1986年」と。
ちょっと抜けている彼でも、ツンデレという言葉が1986年にないのはさすがに知っているはずです。
私が生まれた年。
私がその時聴いていることに反応してくれて、すごく嬉しかった。
ただそのラジオ番組には「鼻の下が伸びる話」という少しエッチな話をするコーナーがありました。
そこで、サウナにハマったのはここ3年ぐらいの話なのに、サウナ付きのラブホに行った話を彼が話していました。
そういう人だと分かっていたし、それが理由だと覚悟していましたが、それなりに傷ついたのでそのコーナーの時間はいつもミュートにしていました。
ツイキャスのコメント欄
時系列が前後して申し訳ないですが、彼はよく風俗ネタでイジられてました。
すごく悔しかった。
「これはお笑いだから。我慢しなきゃいけない。ただ私を笑わせるためのお笑いじゃないだけだ。」
そうやってずっと我慢していたら、遂に私はお笑いで笑えなくなってしまいました。
ラニーノーズと全く関係のない芸人さんの漫才でもコントでも。
お笑いを見たら、また怖いことを言われるかもしれない。
どんなふうに急に怖いことを言われるか分からない。
面白いはずだとは感じることはできるけれど、笑うに至らない。芸人恐怖症。
だから彼が出る寄席に行く時は「これは本気のお笑いじゃない。これは試行錯誤してて仕上げている最中。これからM-1に向けてもっともっと面白くなるから、今は別に笑えなくても仕方ないんだ」と自分に言い聞かせていました。そうすることですごく気持ちが楽になりました。
でも遂に2021年12月のM-1グランプリ。最後まで一度も笑えなくて、番組が終わった瞬間に号泣してしまいました。
ネタが悪いのではなく私が壊れているんだと気づいてしまった。
そんな事情があった中で、2022年9月頃の風俗ライブが予定が発表された時は本当に嫌すぎて、私は野球2:病み8ぐらいの割合でツイート連発してました。
彼も私に対して罪悪感があったのか、目に見えて元気がなかったから悪いなとは感じていましたが。
だから9月8日のバンドのライブ、ツイキャスのコメント欄に普通のお客さんとして振る舞ってました。
手紙を送ったり、舞台に行ったりすると元気になってくれることが多くて、お笑いでは笑えないけれど、彼の笑顔だけを支えに生きていました。
2023年
迷える子羊ふたたび
2023年5月25日の新宿のライブ、山田さんは泣いてました。
全ての始まりは新宿のライブだったから。
この日も彼は私を笑わせるつもりがないことをアピールしたかった?
いや、ただ単に自分の不甲斐なさが悲しかったのでしょう。そうであってほしい。
でも物販の時に3年ぶりにマスクを外して37歳の顔を見せて手紙を渡したら、すごく喜んだ顔してくれました。
「もうどうしたらいいの!ちゃんとして、迷える子羊!」とライブの後に書き足して渡したのですが、こんなことしてくれました。
(動画0:30あたり)
「ハナシを聞いて即興ソング」というリスナーのお悩み相談コーナーをずっとやっていたのですが、ネタ切れでその少し前からギターを使った10回クイズなどをしていたのに、急にこの日「ハナシをきいて即興ソング」に戻りました。
この言葉を使いやすいから、でしょう?
ちなみにそのオンエア直後のバンドメンバーのテツヤさんの反応。
別に感謝ーなんていつも言ってることだから、このツイート自体に「よう言うた!」というのは不自然です。
2020年に「迷える子羊」と呼ばれたってバンドメンバーに報告しているので、イジられて言えって言われたんでしょうね。
ごめんなさい。ありがとうございます。
こんなツイートを残していたということは、山田さんのことを信じていたのでしょう。
2023年以降の状況証拠はあまり残していないです。
証拠残しても意味がないんじゃないかという気持ちと、証拠を残さなくても彼を信じたいという気持ちと、単純なる疲れと。
言うなら、2023年6月。からし蓮根の青空さんの代打で出たラジオ関西「すいくり」で「付き合った最長は4年」と言ったぐらいでしょうか。ちょうど5年目に入るところでした。
あくまで取引なので詳細は伏せますが、彼は泣き虫で、よく泣いてました。
表でたった一度、吐き捨てるようにイジられた事があるので、これは言っていいことでしょう。
山田健人は匂わせクソ芸人
小ネタはまだいっぱいあるけれど、もうこれで信憑性を得られるでしょうか。
私は執念深いのかもしれません。普通ではないかもしれません。
彼はよくそれを知っていたし、怖かったと思います。
だからこそ、切り方を間違ってはいけない。
逃げるチャンスをちゃんと一度あげたのに、彼は私を追いかけてきた。それなのに。
健人さん、こんなにいっぱい匂わせしてたのに、遂に私を迎えに来てくれなかったね。
ここまでしなきゃ自分勝手な罪を認めてくれないんだ。
もう38歳だよ。
子供、産めなくなっちゃった。
顔も体も心も、この5年間で全部壊れた。
壊れたから要らない?
5年以上無視し続けてブッ壊したのはあなたでしょう?自分が壊したのに、被害者ヅラ?
君がもう少し早く手放してくれたら、違う人生もあったのに。
少なくとも今頃はお笑いで笑えていたのに。
これだけでは山田さんは裁きに値しないかもしれません。
ただ彼はこれ以上に、芸人として絶対にしてはいけないことをしました。