四万十の水面

世の人の内絵と草子を嗜むる人にありて、励まざりて神仏の如く絵を能くすらんと思ひ念ず人いと多し。恥ずべきは身も又かかる煩悩無きに非ざる事なれば、さりとてこれも末法の世に惑う衆生の理なるべし。
然るにこれを諫めんがため、励まざりて絵を能くする事叶うまじきとやの説、げに理なり。然れどもこれ強ちに己が誤れる我意に曲げ、画道の理法を修むる事無く絵、草子をひたすらに描きて衆目に晒すことこそ絵、草子の励みの道なりと罵る者あり、いとあさましう愚かなり。
かの誤れる我意を衆目に垂れ理法を害す者、堆田にありてかの民草のあさましき思ひにて鱧律を掠めたる下臈卑賎の輩と憶ゆ。あさましき事限りなし。
ひたすらに理法のみぞ修め絵、草子を描かざる人、終に道を修ること能わざるに違はず。まして絵、草子を描かずして、己が修めたる限りの理法を以て人の絵、草子を誹謗せる者、あさましう愚かなり。
かゝることげに理なれども、これを以て理法を修むる事無くひたすらに絵、草子を描きて衆目に晒す事こそ、励みの道にしていづれは絵を能くする事能うとぞ罵る者こそ、かの下臈なり。これことの有様に違うこと限りなし。
絵、草子の道に衆目を以てその道を究めんとする事、これ理なり。然れどもこれに理法要らざることなし。理法を以て道の礎を固め、初めて衆目にその絵、草子を引き出だし、己が修めたる理法の正誤を認めたる事、これぞ誠の励みなるべし。
将又如何に理法を修めんと励めども、所生の才を以て遂に理法を修めざる人、哀れに思しけれどもまた世の理なるべし。然れども絵、草子を以て銭を得て日々の糧とする師に非ざれば、その絵を嗜む事人の楽しみにして人の口入すべき業に非ざる事、またむつかしけれ。
さりとてかかる人の道の志に任せ、己が誤てる我意を理が如く衆目に嘯き、理法を軽んじ絵草子の道を捻じ曲げんとするあさましき蓮草子こそ、千歳の悪行にして道を穢す狂行なり。
土佐を流るゝ四万十の大河、元を辿れば山の奥なる小さきせせらぎといへども、その隔たり万里あり。下臈の衛士の、万乗を統べる大将軍たらんには、如何許りの年月あらんや。さればその年月に一切の理法を排す事叶うまじきこと理釈然たり。下臈の僻事に惑はされず、理法を忘れえず勤行に励む事ぞ、誠を写すときわなる四万十の水面、万乗の衛士の剣に他ならじ。

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